YELL 部活応援プロジェクト [エール]

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2007年5月~2018年3月、日本を代表するトップアスリートのインタビューはこちら!

保田賢也

水球 : ブルボンウォーターポロクラブ柏崎

今回のアスリートインタビューは、リオデジャネイロ五輪の水球日本代表、ポセイドンジャパンの選手団に内定した、保田賢也選手です。小学生の時に参加した地元の水球大会で優勝したことがきっかけで始めた水球。そして水球をもっとメジャーな競技にしたいという熱い思い。保田賢也選手の中高生時代のお話と、全国の中高生部員に向けてアツいメッセージをいただきました。

ポセイドンジャパンのイケメン★

今(2月26日)、トレセンにて日本代表選手の合宿中とのことですが、練習はかなりハードですか。

2月19日から3月3日まで合宿中で、明日はオフなんですけど、所属のチーム(ブルボンウォーターポロクラブ柏崎)の試合があるのでハードですね。今は、毎朝6時30に起きて8時から2時間のスイムトレーニングと1時間半のウエイトトレーニング、それが終わってお昼休みをとった後、午後2時30から2時間半のスイムトレーニングと1時間半のウエイトトレーニングをやっています。

保田賢也

ウエイトも一日2回なんですか?

午前中のウエイトはスピード強化のメニューで、午後のウエイトはパワー強化のメニューと分けて取り組んでいます。

保田賢也

相当な練習量ですが、ごはんもかなり食べますよね。

水中での練習中におなかが空かないくらいは食べています。
今は代表合宿中なので、食事はバイキング形式になっていて、僕は炭水化物が大好きで、かなり多目に摂っています。学生のときは、3合のお米を食べていました。

保田賢也

ちなみに、どのくらい泳ぐのですか。

最近で一番きつかったのはグアム合宿で、朝起きてすぐ10,000メートル泳いで、そこからウエイト、スイムトレーニング、ウエイトという一日のタイムスケジュールで、選手全員ができることなら行きたくない合宿です。

保田賢也

かなり追い込まれますね。夢の中でも練習しますよね(笑)。

実は今日も夢の中で朝練をやっていました(笑)。

保田賢也

ところで水球を始めたのは、小学生の時に、地元で毎年行われている水球交流会で優勝したことがきっかけとのことですが。

2000年に富山で国体が開催されたことがきっかけで、水球を強化しようと、その少し前から地元富山が盛り上がっていて、僕自身、子供のころからずっと水泳をやっていたのと球技が得意だったこともあり水球にはまっていきました。

保田賢也

その大会での活躍がスカウトの目にとまったんですね。

地元のクラブチームからハガキが届いたんです。一度練習に参加しませんか!? って。それを僕はスカウトととらえています。

保田賢也

小学生の時からクラブチームで活動を始めたということは、中学時代も、放課後はクラブチームで練習をしていたんですね。

学校でも水泳水球部に所属していて、競泳の大会に出場していました。競泳もそこそこ速かったんです。背泳ぎは県で1位に輝くくらい。

保田賢也

子供のころから水泳をやっていたそうですが、なぜ競泳ではなく水球を続けることを選んだのですか。

水泳を子供のころからずっと続けていて、もう辞めたいなと思っていたんです。でも僕が水泳を辞めたら何があるんだろうって悩んでいたときに、水球が目の前に現れて、これだ!って。

保田賢也

水球のどんなところが好きですか。

競泳と合わせて、ボールが使えて、シュートが打てるところです。練習後も毎日キーパーにつきあってもらって、自分が気持ちよくシュートを決まられるまで練習をしていました。

保田賢也

保田選手のポジションは、どんな役割なんですか。

代表ではセンターバックというポジションで、サッカーのDFのセンターバックと同じ、キーパーの前で相手のエースにシュートを決めさせないのが主な役割です。なので、僕のポジションの選手がサボるとシュートをバシバシ決められてしまいます。

保田賢也

かなり体力が消耗するポジションですね。

オフェンスとディフェンスのプレーを2往復しただけでも、かなりハードです。でも選手交代に関しては点が決まった時や試合が動いていないときなどは自由にできるので。

保田賢也

水中の中でもかなり激しい攻防があるとのことですが。

センターバックと対峙するポジションの選手は、どの国の選手も激しいですね。水着をつかんで引っ張ったり、破られたり、時には殴られたり蹴られたりすることもあります。もちろん審判がそのようなラフプレーを見つけた時は即退場ですけど。

保田賢也

中学高校時代というとけっこう多感な時期だと思うのですが、水球以外に興味をもって取り組んでいた事はありますか。

家と学校の間にプールがあるような地理的環境だったので、当時は、家・学校・プールという半径1キロの範囲内でしか活動していなかった記憶しかありません。

保田賢也

シュート以外でいうと、水球のどんなところが楽しいですか。

中高生時代が一番楽しかったです。今は世界と戦うようなハイレベルな場所にいるので、楽しいというよりは、水球の魅力をもっと多くの人に広めたいという気持ちが強いです。

保田賢也

中学高校時代の一番の思い出というと。

3年連続でインターハイに出場できたのですが、高3の時に初めてキャプテンとしてインターハイで3位になった事が一番の思い出です。キャプテンとしてチームに足りない部分をどうやって補うか、工夫するかを考えて積み重ねての結果だったので、仲の良い仲間と共に活動できた最高の時間でした。

保田賢也

当時から、水球を社会人になってからも続けていこうと考えて活動していたのですか。

それはまったく。ただ大学は推薦で進学できればと思っていたのですが、高3の時にユースの代表でキャプテンになり、それからは少しずつ代表も意識するようになりました。

保田賢也

保田選手はイケメンですが、高校時代、どんな男子でしたか。

バレンタインでは25個チョコをもらいました(笑)。でも3年間おつきあいをしていた彼女がいたので、彼女か水球かという感じの日々を送っていました。

保田賢也

有言実行でオリンピック出場!

大学卒業後もアスリートの道を選んだ決め手は。

大学までで水球を辞めようと思っていた矢先、現在所属し活動している、ブルボンウォーターポロクラブ柏崎でGMを務める日本水球界の第一人者、青柳 勧さんに誘われたのがきっかけです。最初、声をかけてくれた時は断ろうとおもっていたんです。でも「まだ優勝したことないでしょ」って言われて、そうだ優勝したことないなって。それじゃ優勝するまでやってみようということで続けることにしたんです。

保田賢也

その後は、日本一になって、次はオリンピックを目指そうということになったんですか。

日本一という目標はそれから2年後に達成できたんですけど、その時はまだオリンピックに出場するという目標は無かったんです。でも前回のロンドンオリンピックの予選が日本で開催されて、僕は代表選手では無かったのですが一緒に練習はしていたので、予選を見に行ったところ、意外にもそんなに差は無いなって感じて、僕の中でオリンピックに出場するということが新たな目標になったんです。

保田賢也

今もハードな練習を乗り越えられるのは、オリンピックという目標があるからなんですね。

はい。それと一緒にその目標を叶える仲間の存在が大きいです。あいつもがんばっているから、俺もがんばろう! って。

保田賢也

勝つため、上達するために工夫していることはありますか。

イメトレをしています。試合が近づくにつれて、その対戦相手をイメージして、シュミレーションして、こうきたらこうしようってプレーの方法や選択肢を考えています。たまにイメトレし過ぎて眠れなくなってしまうこともあるんですけどね(笑)。

保田賢也

かなりの練習量ですが、辞めたくなることってありますか。

練習量で辞めたいと思ったことはありません。イヤだなと思うことはありますけど。ただ、中高生時代、あまりにも練習がきつくて、ゴーグルの中に涙をいっぱい溜めながら、なんでこんなにつらい事をやっているんだろうと思いながら泳いでいたことはあります。

保田賢也

最近はさらにきつい練習をされていると思いますが、泣くこともありますか。

もう泣かないです(笑)。

保田賢也

今後の目標と夢をお願いします。

目標は、オリンピック代表選手に選ばれて、リオでまずは1勝することと、世界に一泡吹かせること。夢は、もっと水球を有名に、そして人気がでるように魅力を伝えることです。

保田賢也

最後に部活に励む中高生にメッセージをお願いいたします。

夢があるなら、自分の中にだけしまっておかないで、周りのみんなにも伝えたほうがいいです。夢が叶ったとき、有言実行にもなるので。ちなみに僕の小学生の時の夢はオリンピックに出場することでした。言うことで周りが応援してくれますよ。

保田賢也

ちなみに、保田選手にとって、理想的な女の子のタイプは。

太陽みたいな女の子で、自分のやりたいことをしっかり持っている人が好きです。

保田賢也

ありがとうございました。

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