YELL 部活応援プロジェクト [エール]

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2007年5月~2018年3月、日本を代表するトップアスリートのインタビューはこちら!

村川 新

サーフィン : プロサーファー

今回のターニングポイントは、プロサーファー・村川新(あらた)選手です。
大学で所属したライフセービング部での活動をきっかけに、1991年より神奈川県藤沢市・鵠沼海岸を中心にライフガード活動を開始。現在も、鵠沼海岸のほど近くにある、古民家をそのまま使用したサーフショップ「Share Surf Room」を営んでいる。
あたたかさと、独特な魅力があふれる村川新選手に、自身の中高生時代のエピソードと、現在の中高生に向けてメッセージを頂きました。

1.サーフィンをやろうと思って、ライフセービング部に入部

1991年より湘南・鵠沼海岸にてライフガードを始めたそうですが、始めた切欠は何だったんでしょうか。

高校まではサッカー部だったんですよ。でもサッカーってチームプレーじゃないですか。で、そろそろ一人で出来るスポーツをしたいな~って思ってて、海に遊びに行った時にサーファーを見て、サーフィンってカッコイイ!!って思ったんですよ。だから大学に入ったらサーフィンをやろう!って思ってて、日体大に入学したんですけど、ライフセービング部があったので、サーフィンを始めるならライフセービングは役に立つだろうと思って、入部したんです。そしたら先輩達が、すごくカッコよかったんですよ。

村川新選手

どこらへんがカッコよかったんですか。

ガタイも良いし、雰囲気も良いし、特に逆三(角形)でキュッとしたところが、とてもカッコよかったんです。(笑)

村川新選手

新選手は、数多くライフガードの資格を持っていますが、ライフガードとは具体的にどのような仕事をするのでしょうか。

僕がやっているのは主に海での人命救助です。救助の仕方も色々とあって、最近だと、ハワイなどの波の荒いところでは、水上バイクなどを使って救助活動を行なう事もあるんですよ。

村川新選手

ライフガードの競技みたいなものもあるって聞いた事があるんですが。

はい、ライフガードの競技もあります。でも僕は競技には興味が無いので、やってはいないです。

村川新選手

2.90人中1人合格した、プロサーファーテスト

一昨年、新(あらた)選手は、プロサーファーのテストで、90人の受験者の中で見事唯一合格されましたが、なぜあらためてプロになったのでしょうか。

サーフショップ「Share Surf Room」を運営しているので、ここらへんの上手なサーファーっていうより、プロサーファーって肩書きがあった方が、お客さんへのウケが良いと思ったので、取れるなら取ろうかな! って感じです。

村川新選手

90人中1人合格って、スゴイですよね。

そう考えるとスゴイですが、たまたまです(笑)。

村川新選手

サーフィンを始めてから、一番嬉しかったとか、印象に残っている思い出ってなんですか。

知っている仲間と一緒にサーフィンをしている時が一番楽しいです。お互いのパフォーマンスを見たり見せたり、そこには色々な景色があって、夕焼けだったり、朝焼けだったり、虹だったり、そういう自然が見せる一瞬の時間を仲間と共有できるのは、サーフィンならではだと思います。

村川新選手

ちなみに、ライフガードをしていた時の思い出って何かありますか。

活動をしていく中で、人から「ありがとう」って言われる喜びを知りました。特に、溺れている人を救助した時、その人たちからの「ありがとう」って言葉をもらったときは、ライフガードをやっていて良かったって思えますね。

村川新選手

3.村川新選手の中高時代

新(あらた)選手が中高生の頃の部活のお話を伺いたいのですが、中学も高校もサッカー部だったんですか。

中高サッカーです。サーフィンと同じなんですが、やっぱり友達と一緒にプレーした事が楽しかったですね。練習もそれなりにきびしかったんですが、それを一緒にやって、陰で、「あのコーチむかつくね」とか言ったりして、日々充実してました(笑)。

村川新選手

ちなみに、サッカーではポジションはどこだったんですか。

中盤です。今で言う、ボランチです。

村川新選手

試合の思い出とかはありますか。

特には無いですね。それよりも、仲良しの友達と一緒に過ごした日々の積み重ねが一番の思い出ですね。

村川新選手

上下関係がきつくて、部活辞めたいって思ったこととかは無かったんですか。

上下関係はとてもゆるーい所だったので、部活を辞めたいと思ったことは無かったです。でも、大学で入ったライフセービング部では辞めたいって思ったことは何度もありました。軍隊か? って思うくらい厳しい部活で、一年生は“新兵”って呼ばれていて、とても厳しい縦社会でした。意味も無く殴られたこともありました。

村川新選手

そんな厳しい大学での部活を続けられたのには何か理由があったんですか。

やっぱり自分で始めたことだからって事が一番です。そしてやっぱり一緒に入部した友達ですね。自分が辞めてしまったら迷惑かけますし。そこが一番大きかったかもしれません。ずーっとなんですが、僕にとっては仲間が一番大事なんですよね。

村川新選手

中高時代、サッカー少年だった新選手の恋話を伺いたいのですが(笑)。

中学も高校も彼女はいました(笑)。中学の時は、週末に遊園地にデートに行くとかっていう感じでした。また、高校の時は、校門で待ち合わせして一緒に帰ってました。一度付き合うと長い方なので、最短でも1年半ですね。

村川新選手

中高生の時、将来の夢とか大人になったらこうなりたいとかって何かありましたか。

中学の時は無かったんですけど、高校の時、僕はサッカーをやっていてケガが多かったので、それを直せるお医者さんになりたいと思っていました。でも高校では文系だったので、そんなに真剣には思ってなかったんでしょうね(笑)。

村川新選手

中高の時の仲間とは、今も仲良しですか。

中高時代で今でも付き合いがあるのは一人だけですね。僕も35才なので、昔の仲間と会うとどうしても昔話になるんですよ。僕は昔話があまり好きじゃなくて、今日楽しかった事とか、今後の楽しい事について話をするのが好きなんです。

村川新選手

4.中高生へ向けた新選手からのアドバイス

今度は中高生に向けた新選手からのアドバイスについて色々とお伺いしたいのですが。

やりたい事はなんでもやった方が良いと思います。中高生の頃って色々あるじゃないですか。お金が無いとか、親がうるさいとか。それで色々と出来なかったりするんですけど、でも小さい時に経験した事って、大人になってからとても役に立つので、興味の持ったことは何でもチャレンジしてみると良いと思います。

村川新選手

現在、プロサーファーとして活躍する新(あらた)選手ですが、試合前の緊張はどのように対処していますか。

緊張するって、失敗したらどうしよう・・・とか、ネガティブな考えになって時に緊張が高まると思うんですよ。でも試合って楽しいじゃないですか。だから楽しもう! っていうふうになれば、ポジティブな考えになるし、良い意味での緊張に変わるので、僕自身は試合前、そういうイメージを持つようにしています。

村川新選手

試合で良い結果が出なかった時とか、試合以外でも落ち込んでいる時は、どう復活させていきますか。

けっこう落ち込んだまま、ドーーーンとして部屋に閉じこもっている時があります。(笑) でもそういう時は本を読むようにしています。特にこれっていう本は無くて何でも読むんですが、最近読んだ中でよかった本は、本田建さんの“きっと、よくなる”っていう本です。超前向きになれます!

村川新選手

好きな言葉などはありますか。

“一期一会”です。僕にとって仲間は一番大事なので、一度でも出会った人は大事にしたいと思っています。
それと、“今は過去からの贈り物”です。 「今は、過去があっての今なんだよ。だから素敵な未来にしたいのなら、今を精一杯生きていこうね。」って僕にとってとても大事な人から頂いた言葉なんです。

村川新選手

5.部活動について

部活動は中高生にとって大切でしょうか。

僕は大事だと思います。一人で生きているのって楽じゃないですか。自分のしたいことだけすれば良いし、でも部活をする事によって、自分にとって嫌なやつとも接しなくてはならないし、団体生活も覚えるし、人として集団生活の中に入って生活する事は、すごく良い事だと思います。

村川新選手

大人になってから、中高での部活が活きたって部分はありましたか。

僕はサーフショップ「Share Surf Room」を営んでいますが、色々なお客さんがいらっしゃってくれて、良い思いもすれば、時には嫌な思いをする時もあるんです。でもそんな時は集団生活で養った経験が活きていると思っています。社会人になると色々な人間と係わっていかなくてはならないので、部活を通してそれを中高時代に学べるというのはとても貴重な機会だと思いますね。

村川新選手

“先輩はこうあるべき”みたいなものはありますか。

背中で見せられる人ですね。口ばかりでなく、言ったことをしっかりと見せれる先輩がカッコイイと思いますね。後輩から「あの人みたいになりたい!」って思われたら良いですよね。

村川新選手

新選手にとっての、あこがれの先輩って誰だったんですか。

大学のライフセービング部の時だと、遠藤さん。今だと、クラブの理事長をやっている土志田仁さん、そして協会の理事、小峰さんです。とても尊敬しています。

村川新選手

6.ターニングポイント

新(あらた)選手にとって、今までの人生にとってのターニングポイントはどこでしたか。

20才頃、サーフィンをやったことが一番のターニングポイントでした。やった瞬間では無くて、やり始めてサーフィンにはまっていった頃だと思います。大学1、2年生の頃、夏の期間だけ海に来てライフガードをやっていたんですが、その海に一年中いる地元のサーファーから、「夏だけ海に来て偉そうな事言うな」って言われたんです。そういう事を言われたくなかったからなのかもしれませんが、サーフィンを始めて海の中で認められてきたのが、その頃だったと思います。「新が言うならしょうがないな」って言われた時は、少しは認めてもらえたのかなって嬉しくなりました。

村川新選手

最後に、中高生へのメッセージをお願いします。

中高生の頃は、部屋の中でテレビやゲーム、インターネットをするんではなくて、太陽の下で、外に出て友達と一緒に体験しながら色々な事を学んでほしいです。

村川新選手

ありがとうございました。

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