(写真提供/村上崇就 コーディネート/竹田桂子)
1.意外にも、小中高は野球ひとすじ
村上選手は、ワールドカップでも、日本代表選手として活躍されていますが、アメリカンフットボールを始めたのは高校からですか。
いえいえ、僕は小中高と野球一筋だったので、アメフトを始めたのは大学に入ってからなんです。
そうなんですか。社会人やプロで活躍しているアスリートの方に取材させて頂くと、中高の部活で始めたのが切欠ということが多いのですが、小中高と野球一筋だったのに、大学で野球を続けなかったのはなんででしょうか?
僕は将来プロ野球選手になりたいと思っていたので、大学受験も野球のセレクションで受けたんですが、入りたい大学に受からなかったので、自分の中で区切りをつけたんです。
小中高で、自分が納得するまで野球をやりきったということですね。
そうですね。出し切ったというのもありますが、セレクションを受けたとき、他の高校から集まって来た甲子園球児たちの才能を目の当たりにして、実力の差を感じたのが一番の理由です。
でも、大好きな野球を納得するまで出来たということは良かったですね。
そうですね。でも実は小学1年生の時はサッカーが好きだったんですが、学校から帰ってきたら、長嶋世代の父から「野球クラブに申し込みしてきたから!」って言われて、背番号3のユニフォームを渡されたんです。それで、“あっ! 僕は野球をやるんだった”ってなったんです。(笑)
野球部では、ポジションはどこだったんですか。
主に外野でしたが、ピッチャーもやりました。体は細かったんですが身長は今と同じくらいで190センチあったので、スラッガーでしたよ。(笑)
2.部活の思い出と、初恋
チームとしての成績はどうだったんですか。
高3春の埼玉県大会のベスト4が最高でした。
一番嬉しかった部活の思い出は。
部員がとても多く一学年30人位いて、部員総勢で100人位いたんです。当然、大会になるとベンチに入れるのは20人と決まっているので、下級生でも実力のある子が数人メンバーに入ると、3年生でも十数人は出られなくなってしまうんです。3年最後の夏の大会でメンバーに選ばれないということは、その時点で高校での野球が終わってしまうということになるんですけど、選ばれなかった3年生部員が自分のつけていた背番号を外して「これからは俺たちがマネージャーをやるから」と言って、選ばれた20人の為に雑用をかってくれたときは、彼らと一緒にやってこれて良かったな、頑張らなくちゃなって思いましたね。
ベスト4に入った事よりも、思いやりのある仲間と一緒に積み重ねた日々が一番の思い出ということですね。
そうですね。友人たちが自分たちを応援しに試合に来てくれた事とかでもパワーはもらいましたけど、彼らからもらったパワーが一番でした。
ベスト4に入るようなチームだと、練習とかもかなりきつかったと思うんですが、辞めたいと思ったことは無かったんですか?
一度も無いです。陸上部みたいに1年中走るよって言われたら無理ですけど、野球部は走りこみ以外にも、バッティング練習や守備練習があるし、団体スポーツなのでとても楽しかったです。僕は性格的に個人競技が向かないんだと思いますね。
ちなみに、野球部の一番つらい練習って何ですか?
やっぱり冬場のオフシーズンの走り込みですね。どんだけ走らせるの?!って思いました。(笑)
中高生の頃はどんな少年でしたか。
自分で言うのも恥ずかしいんですけど、わりと賢い子供でした。(笑) 周りを気にするタイプというか、学級委員タイプでした。
みんなを引っ張っていくリーダータイプですね。
そういうことにしておきます。(笑) 生徒会とかを好きでやっているタイプで、人前に立つのが嫌いでは無かったです。部活でも中学はキャプテン、高校でも副キャプテンでした。
恋愛関係は?(笑)
そんなにたくさんの恋愛経験は無いですけど、中学に入ってすぐの6月の誕生日に自分の下駄箱をあけたら手紙が入っていて、同じ小学校だった女の子からのラブレターだったんです。小学校の時に一緒に活動することがあって、その時の些細なことをうれしく思ってくれていたみたいで、中学生になってお手紙を書いてくれたそうです。でもその子がとても恥しがり屋な女の子だったので、その後もしばらくは文通が続きました。
なにちゃんですか?!
Cさんです。(笑)
3.中高生へ向けた、村上先輩からのアドバイス
部活というと、やはり、つらい練習ですが、先ほどもお伺いしました、つらい練習から逃げずに向き合う事ができるコツのようなものがありましたら、アドバイスをお願いいたします。
自分をよく見ていると、少しの成長が分かるようになるので、それを楽しみに日々練習していたのかもしれません。ちょっと球が速くなったとか、右方向へのバッティングが出来るようになったとか、そういう楽しみが僕にとっては大きかったです。
仲間が辞めそうになったときは、どのような対応をしてましたか。
「お前とは最後まで一緒にやりたいから、続けようぜ!」って言ってました。
試合前は緊張しますか?
試合前はすごく緊張しますよ。でも試合が始まったらそれもおさまるので、試合前は緊張を抑えるんじゃなくて、目いっぱい緊張するようにしています。高3春の県大会準決勝の数日前に、「準決はおまえが先発な」って監督に言われたんです。その日から試合が始まるまでずっと緊張しっぱなしで、試合が始まる前の投球練習で投げた球がとんでもないほうに行ってしまって、コーチたちがすごいあわてていました。(笑) でも試合が始まったら、そこそこのピッチングができたので、そんなもんなんだと思います。
印象に残っている恩師の言葉とか、村上選手の好きな言葉はありますか。
高校の先生に言われた言葉なんですけど、「出来る」とか「目標を達成する」というのは地図を使うのと一緒だと言われたことがありました。自分の行きたい場所があっても、今、自分のいる場所が分からなければ、どんなに良い地図でもそこには行けないんだと言われた事があって、そうだなって思いました。
部活動は中高生にとって大切だと思いますか。
部活はやったほうが良いと思います。というか色々なことをやってもらいたいです。勉強だけをするんではなくて、興味のあるものは全てチャレンジしてもらいたいです。部活も掛け持ちができるんだったら、やれば良いし、その中で自分の気に入るものがあれば、それを突き詰めれば良いと思います。
チャレンジして、自分に合わなければ辞めてしまってもいいですか?
自分のやってきた事とは反するけど、どうしても合わないのなら矢も得ないと思います。でもそこには仲間や先生がいるので、その時その時を頑張ろうと思ってやれば、何かが残ると思います。
大人になってから中高時代を振り返ってみて、部活動をやって良かったと思える事はありますか。
若いときに「優勝」という明確な目標に向かって、仲間と一緒に頑張る日々というのは大切だなって思います。
今まで野球やアメフトを続けてきた中で、どのような指導者が一番好きでしたか。
僕は褒められると伸びるタイプなので、褒めて伸ばしてくれる指導者が好きです。でも褒めてばかりの人は嫌いですね。
9-1ですか。
8-2です。(笑) 中学校の学年主任の先生から8割方いつも怒られていたんですが、人伝にその先生が、自分の事を褒めてくれているという事を聞いたんです。その時は単純に嬉しかったです。
4.アメフト部に入部したときは190センチ・75キロ
村上選手は大学に入ってからアメリカンフットボール部を始めたそうですが、なぜまたアメフト部だったんですか?
小中高と、土日もずーっと野球をやってきたので、大学に入ったらのんびりしようと思っていたんです。でも入学して早々すぐにアメフト部の先輩たちにつかまってしまったんです。(笑)
その体格ですもんね。(笑)
でもその時、身長は190センチありましたけど、体重は75キロ前後だったので、今より40キロは少ないですよ。
練習を重ねながら、徐々に体を作っていったんですね。
そうですね。練習をしていきながら90キロから95キロ位になるまで体を作っていきました。大学時代はあまりトレーニングは好きではなかったんですけど、負けず嫌いなので、ちょいちょいやるんですよ。(笑) そうすると、じっくりと体が出来ていくんです。でも社会人になってから強いチームの選手とも対戦するようになって、試合でボコボコにされて、そんな自分が嫌だったので、トレーニングも本格的にするようになりましたし、ご飯も1日6回食べるようにして、体重を増やしていきました。そしたら一時120キロまで太ってしまって、ぜんぜん動けなくなってしまったんです。これはまずいと思って、10キロほどダイエットしました。(笑)
他にも部活があったのに、誘われたからとは言え、よくアメフトに決めましたね。
他の部活に入るなんて許されないくらいの拉致られっぷりでした。(笑) 大学って、入学式をやってオリエンテーションをやって友達を作っていくという流れがあるじゃないですか。でもそこには常にアメフト部の先輩たちがいて、「飯食わせてやるから来い」って言われるのが何日か続いて、クラスの友達を作る暇も無く、他の部活の勧誘を許されるわけもなく、「グランドに練習を見に来てよ」っていわれて見に行ったら、夕方には「入部します」って言ってました。自分自身もアメフトに何か感じるものがあったのではないかと思います。
アメフトというと、QB(クォーターバック)や、RB(ランニングバック)や、レシーバーなどが花形のポジションですが、やりたいと思ったことは無いんですか?
それは日々ありますよ。ラインをやっている皆さんは全員あると思います。(笑)
5.ラインもモテルのか?!
村上選手は、ライン一筋10年以上続けていますよね。どうしてそこまで続けられるのか気になるんですけど。
なるほど。たしかにコーチからは、「お前ら(オフェンスライン)の記録は体重だけだ」と言われます。タックル数も、サック数の記録もあるわけではないし、なんでこのポジションをやっているんだろうって思うこともありますけどね・・・
どこに魅力を感じているんですか?
なんでしょう・・・ アメフトを知っている人は分かっていると思いますけど、アメフトはラインありきみたいなところがあるじゃないですか。パスやランが通るのは俺たちラインのおかげだみたいな。
ラインをやるには奉仕の心が無いと出来ないですよね。
究極の自己犠牲ですね。(笑)
ラインを10年以上もやるって意味がわからないです。ラインはモテルっていうなら別ですけど。(笑)
不思議なポジションですよね。学生援護会(社会人のアメフトチーム)時代に、ジョンポントというコーチがいて、「聞きたいことあるか?アメフトの事でも良いし、プライベートな事でも良いぞ」というので、オフェンスラインの一人が、「NFLの選手になればラインもモテルのか?!」って聞いたら、ジョンポントコーチは「NO・・・」って。(笑) そうかダメか・・・ってみんなでガッカリして帰ったことをおぼえています。
そうすると、相撲で力士として関取になった方がモテますよね。
そこが、僕の個人競技より団体競技の方が好きだという性格なんだと思います。自分が犠牲になって他の人が活躍する事に喜びを感じられるんだと思います。
生意気なやつ(QB、RB)でもOKですか?!
それは問題ですね。そういうポジションの選手たちがハドルに戻ってきた時、俺たちに「ナイス」って一声かけるかかけないかっていうのは大事などころだと思います。そこが団体スポーツの大切な部分だと思います。
村上選手は仲間が好きなんですね。
仲間が大好きですね。そうじゃないとアメフトは出来ないですよ。
6.ターニングポイント
ワールドカップ日本代表選手として活躍されている村上崇就選手にとっての、ターニングポイントを教えてください。
大学を卒業して所属した学生援護会のチームから3年前に、IBM BigBlueに移籍した時が、ターニングポイントです。
移籍によって変わったことって何ですか。
学生援護会のチームには仲の良い選手がたくさんいて、5年間も所属していたので自分の家みたいなチームだったんですけど、その中にワールドカップに出ている選手がいて、自分もそんな選手になりたいなって思ったんです。そこで居心地の良いチームを出て自分にプレッシャーをかける意味で、IBMに移籍したんです。
アメフトの選手としてもう一回り成長しようと思ったんですね。
そうですね。そこにいたら成長出来ないのかって言ったらそんな事ないんですけど、後戻りできない状況に追い込むことが、自分にとって成長につながると思って移籍したんです。
7.中高生へのメッセージ
最後に、中高生へのメッセージをお願いします。
さっき、自分に合わなければ辞めればいいみたいな話をしましたけど、中高生の時は、自分で答えを出してほしくないというのはあります。きつい練習に対しても無理だと思って自分でブレーキをかけないでほしいし、中高時代というのは1回しかない時間だから、自分で決めたことならとことんまでやり抜いてほしいです。色々なことにチャレンジしてください。
ありがとうございました。