千葉県木更津市に生まれた川口選手。父親の転勤で移り住んだ北海道苫小牧で出会ったアイスホッケーに魅了され、再び父親の転勤で広島に移り住むも、高校では本格的にアイスホッケーをおこなうため、単身で駒大苫小牧高校に入学。アイスホッケーをやるには難しい関東に生まれながらも、ウインタースポーツ・アイスホッケーで長野オリンピック代表に選ばれるまでになった川口寛選手の中高生時代のエピソードと、現在の中高生に向けてメッセージを頂きました。
1.川口少年のアイスホッケーとの出会い
川口選手がアイスホッケーを始めたのは、お父さんの転勤で苫小牧に移ったのが切欠だそうですが。
生まれは千葉の木更津なんですけど、小学校2年生の冬頃に父親の転勤で苫小牧に転校したんです。それまでは近所の子とキャッチボールとかして遊んでいたんですけど、転校してからは周りがスケートをする環境だったので、すぐにアイスホッケーを始めました。
子供の頃から東京でアイスホッケーをやろうと思ってもなかなか難しいと思うんですが、北海道だと子供が普通にスケートやスキーをやっているんですよね。
そうですね。僕は父の会社の社宅に住んでいたんですが、その社宅にも専用リンクがあるんですよ。(笑) それに学校のグランドも凍っているので、どこでもスケートが出来る環境なんです。
えっ! そんなにたくさんのリンクがあるんですか!?
そうなんです。シューズさえあればどこでも滑れます。(笑) しかもそれぞれの学校がアイスホッケーチームを持っているんですよ。それに体力作りの一環として「スケートマラソン」というのがあるんですけど、「室蘭まで行こう!」とか目標設定があって、休み時間などを利用して滑った距離の合計を記録していくんです。
東京だと、普通はマラソンをやらされるじゃないですか。マラソンじゃなくてスケートっていいですね~。
でも最初は千葉から転校してきて自分だけ出来ないんですよ。悔しくて泣きながらスケートをしていた記憶があります(笑)。
それからまたお父さんの転勤で北海道から転校してしまうんですよね。その後もアイスホッケーは続けたんですか。
小学校5年生の時に横浜に転校してから、品川プリンスジュニアというクラブチームでアイスホッケーを続けていました。でも中2の時に山口県徳山市に、また転校になってしまったんですけど、たまたま徳山市にリンクが一つあって、広島にもアイスホッケーチームがあったので、そこでアイスホッケーを続けていました。
2.単身、駒大苫小牧高校へ
いよいよ高校ですが。
親元を離れて一人北海道に引っ越して、今は野球で有名になりました駒大苫小牧高校に入学したんです。
アイスホッケーの強い高校ですよね。
そうですね。小学生の時に苫小牧に住んでいた時のアイスホッケー仲間と引っ越してからも年賀状のやり取りをしていて、高校生になったら苫小牧の同じチームでやろうって決めていたんです。
中高時代の部活の思い出で一番の思い出は何ですか。
インターハイで3連覇した事なんですけど、一番の思い出は、高3の時のインターハイ決勝で劣勢に立たされた中で優勝した事ですね。
その時の対戦相手はどこだったんですか。
釧路江南高校です。
アイスホッケーの強い高校ですね。ところで、川口選手は高校生の時から一人北海道に行ってアイスホッケーをやるほどの情熱家ですが、辞めたいと思ったことは無かったんでしょうか。
辞めたいと思ったことは何回もありますよ。特に長野オリンピックの代表選手選考は本当につらかったです。最初は40人以上の選手が代表選手候補に選ばれて、遠征を重ねていく中で最後は20人くらいに絞られる、仲間を蹴落とさなくてはならないサバイバルだったんですよ。大学の頃まではみんな仲良くお互い励ましあってやっていくチームでプレーしていたので、当時は精神的に強くなかったので本当にきつかったです。
でもそのおかげで、ミスをしてチームに迷惑をかけると、責任を感じて尾をひくんですが、そんなつらい事を経験した事でポジティブに考えられるようになったんです。
具体的な切欠って何だったんですか。
やはり長野オリンピックを経験した事が精神的な成長につながったんだと思います。
川口選手が中高生の頃って、どんな少年だったんですか。勉強とか。
中学生の頃は転校が多かったので、親に反抗的でしたね。でも勉強に関しては要領が良かったので出来た方だと思います。だからって今、頭が良いかって言ったら、そんな事ないんですけどね(笑)。
転校が多かったそうですが、友達とかってすぐ出来る方でしたか。
転校する先々で仲良くなった友達はいました。
3.彼女はいたんですか?
彼女はいたんですか(笑)?
いましたけど、彼女と言っても手をつなぐ程度でしたから・・・(笑)。
北海道での恋は、なんだか素敵ですね。
そうですね。雪の中でマフラーを巻きながらデートしてました。
二人で一つのマフラーを巻いたりしたんですか(笑)。
それはやってないかな。(笑) でも手編みのマフラーをプレゼントでもらった事はあります。
その頃って、大人になったら何になりたいとかってありましたか。
実業団の選手になりたいと思っていました。それは小学校の卒業文集にも書いていて、「オリンピックに出場して、日本の国旗を揚げる」って内容で、その横にコクド(アイスホッケーチーム)のウサギマークを描いていました。
ほぼ達成ですね。中高生になってもその目標に変わりなかったんですか。
そうですね。ただ、父親がラグビー好きで早稲田が大好きだったんです。高校1年のときにラグビーで全国大会に控ながら出場した事があったそうで、早稲田に行きたかったらしいんですが腰を悪くして断念したそうで、その影響で僕が千葉にいた時は、野球以外にラグビーボールを持って遊んでいたんです。でもそれから北海道に引っ越してアイスホッケーを始めたんですが、アイスホッケーで早稲田のエンジのユニフォームを着たいな!! って思うようになったんです。それに高校の親しい先輩も早稲田に進学していたので、一応勉強も頑張らなくてはと思ってやっていました。
その頃の友達とは今も仲良く会ったりしていますか。
小学校の時と高校の時の友達は一緒なので、今でも家族ぐるみの付き合いをしています。その中でも一番仲の良い友達は王子製紙(アイスホッケーチーム)に行ったので、心底話したりしますね。
4.中高生へ向けた川口選手からのアドバイス
試合前の緊張とはどのように向き合っていますか。
僕の場合は良いイメージで試合に入れるようにしています。フェイントをかけて抜いていくイメージとかイメトレをしますね。
落ち込む時とかってありますか? そしてそこから復活する方法とか。
上手に切り替える事が大事だと思います。それは自分次第だと思うんですが、失敗してしまった事はしょうがないので、ポジティブな発想にうまく切り替えることですね。
好きな言葉とかはありますか。
「気持ち」です。何でもそうですが、気持ちが無くなったら落ちるところまで落ちてしまうと思うんですよ。勉強でも、部活でも、練習でも、全てに共通するんではないかと思います。
「げんかつぎ」とかはありますか。
特にないんですけど、なぜか左足からスケート靴を履くんですよ。たまに右足から履こうとすると、やっぱり左から履きなおしたりします。普段通りのリズムを大切にしていますね。
アイスホッケーを始めてから、一番嬉しかった事とつらかった事はなんでしょうか。
嬉しかった事は、数々の優勝です。つらかった事は、オリンピックの代表選手に選ばれるまでの期間と、2年前の大怪我をした時です。その時は選手として終ったかな…って思いました。
部活をやっていて良かったと思える事は何でしょうか。
アイスホッケーを教えてもらった事以外にも、礼儀や仲間意識、チームワーク、そして体力がついた事とかです(笑)。
川口選手が部活のコーチや監督をやったとしたら、そういったことは大事にしますか。
大事にしますね。特に挨拶は一番大事な事だと思います。
部活というと、メインは放課後の日々の練習になりますが、部員にとってはキツイ練習って嫌じゃなですか。川口選手がコーチをするとしたら、どのように指導しますか。
こういうトレーニングをやったら、こういうふうに筋肉が強くなって、こういう状況の時にプラスになるよって納得させてから練習させますね。
5.ターニングポイント
川口選手にとって、ターニングポイントはどこでしたか。
小学校2年生の時に苫小牧に転校してアイスホッケーに出会った時がターニングポイントです。そこで北海道に行ってなければ全く別の人生を歩んでいたと思います。
最後に中高生へのメッセージをお願いします。
何でも目標を立てて、それに向かっていく事で気持ちが入ると思います。あまり大きい目標ではなくて、細かい目標を一つずつクリアーしていければ喜びが感じられると思うので、達成感を積み重ねながら、最後に大きな喜びをつかんでほしいです。
ありがとうございました。