YELL 部活応援プロジェクト [エール]

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2007年5月~2018年3月、日本を代表するトップアスリートのインタビューはこちら!

中西 真知子

トライアスロン : フリー

1.中西選手の意外な中高生時代!?

中西さんの中学・高校時代はどのような毎日だったのでしょうか?

水泳三昧です。3歳から水泳を始めて、中学からはより練習できる環境を求めて中高一貫の学校に入学しました。しかも学校の近くに、全国でも有数の強豪スイミングクラブがあったので、学校入学と同時にスイミングクラブもそちらに移動したので、朝はスイミングクラブで練習して、それから学校の授業と部活、終わるとまたスイミングクラブで泳ぐ。当時はひたすらその往復でした。

中西真知子

たとえば授業中は寝てしまうほどの水泳漬け?

そうなってもおかしくなかったのですが、中学1年時の担任の先生から、入学してすぐに「スポーツ馬鹿にだけはなるな」と言われたんです。「せっかく6年間同じ学校なら、テストも頑張って、指定校推薦で大学に行くことも考えないとあかんよ」と中1から大学入試のことを言われました。もしかしたら先生からすれば、「こいつにはそう言わないと、水泳ばっかりするだろうからあかん」と思われていたのかもしれませんね(笑)。

中西真知子

当時はどのようなことを目標にしていたのでしょうか?

正直なことを言うと、中学時代は目標がありませんでした。スイミングクラブの友達や、部活の友達と一緒に泳ぐのが楽しくて、みんなで合宿をして一緒に泊まること自体が楽しい。「練習に行ったらみんながおる」という感じで、練習はおまけ。だから、全国大会に出ようとか、そこで何番になろうとか、自分自身の目標はなかった。今思うと「自分も(全国大会に)行かないと友達に置いていかれる」と思って、頑張っていたような気がします。

中西真知子

周りは目標意識が高い子が多かった?

それほど高くはないですね。学校も「アスリート」というより、典型的な「女子高生」というタイプの子たちが多かった。ただ、スイミングクラブはレベルが高かったので、自分個人としてはそっちのレベルや練習に、必死でくっついていく感じでした。学年が1つ上の先輩で、同じスイミングクラブに通う友達がいたので、その先輩とつるんでいました。だから、学校生活の思い出も自然と水泳につながるのですが、そんな中でも先生にも可愛がってもらったし、基本的に何でも一生懸命に頑張るのが好きやったから、中高ともに親友と修学旅行委員もしました。実は小学校のときも児童会の副会長をやっていたし、中学、高校でもほとんど学級委員をやるような子でした。意外でしょ(笑)。

中西真知子

2.誤解からのいじめ、でも今では親友。

クラスでも目立つ位置にいる生徒だったようですが、水泳、学校生活、当時を振り返ってつらかったことは何ですか?

いじめられたことかな。中学時代は、めっちゃいじめられました。私は器用にいくつものことができるほうではないけれど、自分がやることをしっかりやらないと気がすまへんタイプ。授業に出て、部活をして、スイミングクラブに行って家へ帰ると夜も遅いから、たとえば宿題を出されたら、休憩時間にやってしまう子でした。でも友達からすると、そういう態度は付き合いが悪く見えるんでしょうね。女子校だったので、クラスにはリーダー的な子がいて、私は誘っても逆らう子だと思われていたから、クラスの全員に無視されたこともありましたよ。頑張っているのにそういう目に遭うなら、水泳をやめようかなと思いましたね。でも、そういうときこそ水泳で結果が出るし、それが楽しい。「だったらもう少し頑張ろう」と思えたし、私は水泳をしているんだから、それをどう取られてもいい、理解してくれる人もいるからそれでいいやと思ったらいじめにも動じなくなった。言われているうちが華や、と思って過ごしているうちにいじめられなくなりました。

中西真知子

周りからすれば、中西さんの頑張る姿もうらやましかったのかもしれませんね。

結局いじめも誤解。本人同士はしょうもないことで言い合っているだけだし、しょうもない誤解をし合っているだけで、私も「いじめられた」と思っていたけれど、相手からすれば私にいじめられていると思ったかもしれないですよね。でも、結局いろいろなことが誤解なんだとわかってからは、その相手とも親友になりました。今でも連絡を取り合って、遊んだりしています。不思議なものですよね。

中西真知子

とはいえ現実には、当時の中西さんと同じような状況にいる中高生もいると思います。中西さんから何かアドバイスをお願いします。

とにかく周りがどんなことを言っても、自分がこうする、こうしたいと決めたことがあれば、それにだけ集中して頑張ってほしいと思います。たとえ友達とうまくいかない状態だったとしても、親や先生など、自分を見てくれている人は絶対にいる。私自身もそうでした。たとえ周りに何を言われても、1人になっていたとしても、やりたいと思うことに出会う努力をしたらいいと思います。大丈夫、絶対に見ていてくれる人、応援してくれる人に出会えますから。

中西真知子

3.水泳から、トライアスロンへ

では改めて、水泳部だった中西さんがトライアスロンへ転向した過程を教えて下さい。

大学進学が決まってから、高校3年でやっと自由な時間を得たので、その時間を使ってスイミングクラブで泳いだりしていたました。たまたまそのときに、もしかしたらシドニーからトライアスロンがオリンピック競技になるかもしれないと、競泳選手から候補になる選手を探している人がいた。私としては、お世話になったスイミングクラブのコーチを手伝おうかなという気持ちで、自分も泳ぎながら指導を手伝ったりしていたのですが、コーチからすると「やりたいことを探しに(スイミングへ)来ている」と映ったらしく、そこで「トライアスロンをやってみろ」と言われたことがきっかけでした。

中西真知子

それまで経験は全くなかった?

ありません。泳ぐのはいいけれど、走るのも自転車も無理だし、そもそも自分としてはそれまでの水泳生活でスポーツに力尽きたと思っていました。それが、たまたま大会に出たら、そこそこできた。そうなると「やってみたら」と言う人がもっと増えました。しかもその時期に、トライアスロンには「プロ」の存在があることを知って、面白そうだなと思ったし、せっかく知り合えたトライアスロンの人たちともつながっていたい。「じゃあやってみようかな」と。そうしたらまた縁があって、翌年にNTTが若手を集めてチームをつくるということになり、私にも声をかけてもらった。でも、当時は「オリンピック」を目指していたわけではなく、正直なところ「どうせ(大学の)4年間を過ごすなら、趣味程度としてトライアスロンをやってみようかな」という気持ちでもありました。

中西真知子

なるほど。最初は軽い気持ちだったと仰いましたが、意識が変わり始めたのはいつ頃だったのでしょうか?

トライアスロンを始めて2年目に出たレースで(自転車から)落車して、ケガをしたことが転機になりました。肩をケガしたので水泳ができなくなってしまったのですが、そのときに励ましてくれたのがトライアスロンの仲間でした。レースでケガをしたときから、ずっと励まして、面倒を見てくれたので、その人たちに復帰したところを見せたかったし、その輪に戻りたかった。大学3年で復帰して、日本選手権で勝つことができて、オリンピックに出るためのポイントを稼ぐ世界でのレースも回れるようになりました。水泳を本格的にやっていくにはケガの後遺症も影響してしまうけれど、トライアスロンならば大丈夫だからということでそこからはトライアスロンがメインになりました。大学を卒業した翌々年がシドニーオリンピックだったので、そこからは必死でトレーニングをして、結果を残し、スポンサー契約もしてもらえるようになりました。本格的なトライアスリートになったのはその頃からですね。でも、自分のなかで本格的に意識が切り替わったのはシドニーオリンピックで「補欠」になってからだと思います。

中西真知子

4.中西選手のターニングポイント!!!

あと一歩というところでの補欠。やはりショックは大きかった?

水泳をやってきた頃のことから思い返して、「やっぱり自分は結果を出されへんのや」と思ってしまいましたね。自分は目標を持っていないからあかんかったんやと、そのとき初めて悔しくなった。オリンピックに出られないのは私が結果を出せなかったということなのだけれど、その結果を、私と同じように周りにいたスタッフ、スポンサーの人たちが悔しがって、悲しんでくれた。それがまた悔しくかったし、私はダメでも、オリンピックに行ける選手の周りは「うわーっ」と盛り上がっている。すごくたくさんの人に応援してもらったのに、結果を出されないってこういうことなんやと思い知らされました。

中西真知子

その後、悔しさをバネにアテネオリンピックに出場されました。さまざまなことを含め、中西さんのターニングポイントを挙げるとしたら?

シドニーオリンピックの後です。オリンピックを逃してから、ずっと周りに対しても「やめたいです」と言い続けていました。でも、そのときにも手を差し伸べてくれる人がいて、アテネを目指すことができた。ターニングポイントということを考えると、自分がどうしたではなく、人が私に言ってくれたことで自分を動かしたりとか、そういうことではないかと。ケガもあって北京オリンピックには出られませんでしたが、そのときにも「頑張れ」と言ってくれる人、「頑張らなくていい」と言ってくれた人、「克服すればまたできる」と言ってくれた人。そういう人がいたから、毎日ちょっとでもトレーニングをしようと思えた。苦しい最中は、手を差し伸べてくれていることもわからないときがあるけれど、心に引っかかる言葉、出来事、そういうものが絶対にあると思うし、私はそうでした。

中西真知子

では最後に、学生時代の中西さんと同じように部活を頑張っている中高生へメッセージをお願いします。

誰に何を言われようと、自分が一番になれるもの、自分がこうしたいんだというものを信じる。とにかく一生懸命やったらそれが失敗しても学べるし、成功したらものすごく嬉しい。一生懸命やってさえいたら、絶対に自分という人間は成長するのでムダはない。あきらめなければ道は広がります。簡単なことではないかもしれないけれど、自分が信じた道を見つけるためには、すごく悩むべきだし、いっぱい考えたほうがいい。親がどう、先生がこうではなく、自分が勉強したいと思えば勉強すればいい。もがいているときは地獄のように思えるけれど、振り返るとそういう時間のほうが充実しているのかもしれませんよね。私も中高生のみなさんが何を考えているのか逆に知りたいし、自分の経験からアドバイスしたりできることがあればしていきたいと思います。私もアスリートとして頑張ります。一緒にやっていきましょう。

中西真知子

ありがとうございました。

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