YELL 部活応援プロジェクト [エール]

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2007年5月~2018年3月、日本を代表するトップアスリートのインタビューはこちら!

175R

ロックバンド : EMIミュージック・ジャパン

今回のターニングポイントは、今年で結成10周年を迎えた175R。オリコン1位になった『ハッピーライフ』では勇気と元気をもらい、『空に唄えば』では友達をあらためて大事に思った、『夕焼けファルセット』では切ないメロディーに何度も涙した……気がつけば「青春ロックバンド、なんていわれてた(SHOGO)」というように、思えばいつも、175Rの曲に励まされてきた、という人も多いことだろう。まさに青春時代の応援歌であり青春ロックバンド、それが175R! 10周年を記念して、スペシャルインタビュー公開!!
(取材・文/若山あや  写真/小山基彰)

1.祝! 175R結成10週年!! 5thアルバムはまるごと人生の応援歌

今年、いよいよ10周年を迎えましたね! おめでとうございます。

いや〜ホント早かった! あっという間でしたね。

SHOGO

4月9日には5thアルバム『お前はスゲぇー!』がリリースされましたが、これは10周年を記念すべく’08第一弾リリースということですが。

ただワケもわからず「負けたくない!」って気持ちだけでやってきたけど、これからは「もちろんこれで終わるわけじゃない」って、俺らにしかできないようなものを作っていきたい、って思っているんです。それが今回のアルバムにはあらわれていると思う。ISAKICKとYOSHIAKIも、初となる曲作りをしてるし。

KAZYA

10周年だし何か作ってみようか、って感じでそれぞれがいくつか曲を持ち寄って、選ばれたのがたまたま俺とYOSHIAKIのだった。

ISAKICK

KAZYAも作ってきたんだけど、ギターでメロディー作るからキーの幅がすごい広すぎてさすがの俺でもムリだろう、って(笑)!

SHOGO

しかもちょっとキーが古いんだよね、俺のは(笑)。

KAZYA

ちょっとね(笑)。

SHOGO

アルバムタイトルにもなっていますが『お前はスゲぇよ!』はさすが175Rって感じで、めちゃめちゃシンプルでメッセージ性が強いですよね。

俺たちって、リリースするたびに「ストレートでポジティブなメッセージが光るロックバンド」って書かれるように、青春ロックバンドといわれてきた。それを意識してきたわけじゃないんだけど、自分が伝えたいメッセージをそのままに曲にすると、やっぱり「人生の応援歌」になるんですよね。

SHOGO

今回はとくに、全曲通して応援歌ばっかりですから。

YOSHIAKI

中高生のファンが多いですが、昨年〜今年にかけてやった全都道府県ツアーにはなんと80歳以上の方も来てくれていて、10年やっていると、さすがにファン層も広がってきてうれしい。テンションアゲるために試合前に聞いてくれるスポーツ選手も結構いて、たとえば柔道の上野雅恵選手は、アテネで金メダルをとった時、その決勝の前に、俺らの曲を聞いてくれていた、とご本人から聞きました。

SHOGO

2.175R結成から、デビュー前までの道のりとは

メンバーはみんな高校時代から音楽活動をしていたと聞きましたが、どういうきっかけで175Rを結成することになったのですか?

「SHOGOのわがままにより結成」ってよく書かれているんだけど、ほんとその通りで、友達の紹介でKAZYAとISAKICKを集めたんです。それまで高校時代に俺がやってたバンドが解散することになって、もう18歳だしデビューするなら次が最後だと思っていたから、すぐに弾ける人が欲しかった。そのときふたりにいったくどき文句が「絶対に有名になるから」でしたね。まったく当時は根拠のない自信だったんだけど。

SHOGO

でも若かったってのもあって、漠然と「有名になれる」って思ってたんだよね、俺は。

ISAKICK

最初ドラムはYOSHIAKIじゃなくて違うヤツだったんだけど、デビューするための登竜門的なバンド大会の決勝戦直前に、そのドラムが抜けることになって。で、KAZYAの弟のYOSHIAKIがドラムやってんの知ってたから、とりあえず決勝は1曲だけだから、参加してもらうことにしたんだよね。それから今に至る、って感じ。

SHOGO

今に至るって……それじゃあ俺がまるで、いまだに居候みたいになってるけど(笑)。まあ、でもそれもあるかな。だって、正式に175Rに加入したのが去年でしたから。何かの取材で「そういえばまだ正式に加入してなかったよね。じゃあ今入ります」って、具合に(笑)。ドラムは中1からやってたんだけど、本当は兄ちゃん見てたからギターがやりたかった。でもお前はドラムやれって。考えてみれば、人生を他人に決められてばっかり。

YOSHIAKI

人生受け身やね。だって、中学時代にソフトテニス部に入ったのもお母さんにいわれて、だったよね。

KAZYA

うん、でもあんまりそれにも反抗してこなかったな。当時X JAPANのYOSHIKIも好きだったし、ドラムでいいや、って。でもちょっと偉そうに聞こえるかもしれないけど、同級生とバンド組むよりも、レベルが高い年上とやりたいなって思ってたから、175Rに誘われた時はうれしかった。

YOSHIAKI

学生だったメンバーもいた結成当時、どうやって活動していたんですか?

YOSHIAKIが初めて参加したバンド大会で優勝したんだけど、そうしたら博多とか県外のイベントにも呼ばれるようになって、忙しくなってきたんだよね。デモテープも売ってたんだけど、みんなでバイトしながら、KAZYAは大学、YOSHIAKIは高校に行きながらなんとかやっていましたね。

SHOGO

バイトで稼いだお金でライブしたり、親のすねかじったりしながらやってたね(笑)。

KAZYA

3.4人が初めて揃った日が、175Rのターニングポイント

いまあらためて振り返ってみて、175Rをやってきてよかった、と初めて実感したのはいつですか?

まだ実感の最中。

KAZYA

まだ(笑)? 俺はMステ(ミュージックステーション)に『空に唄えば』で出たときかな。インディーズでオリコンチャート6位ぐらいまできてて、ライブのチケットもソールドアウトになったりしていた時期で、地元でも有名になり始めてた。で、‘03に『ハッピーライフ』でメジャーデビューして、次の『空に唄えば』と連続でオリコンチャート初登場1位になった。俺らもレコード会社もビックリしてた時でしたね。地元では『ミュージックステーション』と『笑っていいとも!!』に出ないと認めてもらえない、っていうのがあったし、Mステは好きな番組で昔からビデオを録りためていたぐらいだから、初めて出れたときは本当に感動した。

SHOGO

でも、いつもライブのたびに実感するよね。もちろん武道館もそうだったし、それぞれの場面で違う実感がある。

KAZYA

175Rにとってのターニングポイントはいつですか?

YOSHIAKIが入ったときかな。バンド大会の決勝戦の助っ人的な感じだったけど、でも初めて合わせてみたときに、初めてとは思えないぐらいビシっと合ったんですよ。YOSHIAKIじゃなかったらどうなっていたかわからない。だからターニングポイントはこの4人が揃ったときですね。

SHOGO

4月26日には日比谷野外大音楽堂で10周年感謝祭ライブがありますね。

10年経っても、人生を応援する、って芯はかわらないですね。メジャーデビュー当時のような、青春=175Rってイメージに実は行き詰まってた時期もあるんだけど、去年『サンキュー・フォー・ザ・ミュージック』って曲を作った時に、自分の中で何かが解けた。やっぱ俺たちは、青春ロックバンドだな、って。これって原点回帰のように思われるかもしれないけど、俺からしたら進化。ストレートでド真ん中な青春したかったら、俺らんとこ来いよ! みたいなね。だから10周年感謝祭は見に来てくれる人たちのことしか考えていません。たとえ僕の声が出なくなっても、歌ってくれる人は会場には山ほどいるから、恐くない!

SHOGO

4.それぞれの中高時代 実は意外にも部活をやっていた!?

メンバー4人の中高時代の部活の思い出を聞かせてください。やっぱり音楽一筋だったのでしょうか。

おれ、実は中学校3年間、柔道部に入っていたんですよ。『帯をギュッとね!』ってマンガがあって、ちょうど小6の時にそれにハマって影響されちゃって。でも最初は基礎練習ばっかりで、マンガでは技がいっぱい出てきて早く自分もやりたいのにやらせてもらえないから退屈で。だからYOSHIAKIを実験台に、家ではよく技をかけてた(笑)。

KAZYA

そうそう、よく投げられていたかもしれない。ちなみに僕は中学時代はソフトテニス部に入部。新しくできた部活で、お母さんに「1期生になれるよ」っていわれて、始めました。

YOSHIAKI

全然たいした動機じゃないね。

KAZYA

でもソフトテニス部はすぐにやめて、野球部が坊主じゃなくてもよくなったから野球部に転部。

YOSHIAKI

それもたいした動機じゃないね(笑)。

KAZYA

俺も小学校の時にソフトボールクラブに入っていたから、その流れで野球部に入りたかったんだけど、やっぱりYOSHIAKIじゃないけど、坊主がイヤだから入るのをやめたんだよね。でも小柄だし、入部していてもたぶん補欠だったんじゃないかな? 中高は帰宅部ってやつでした。

SHOGO

みんなダメだね。僕なんか中学3年間バスケットボール部でしたね。この中じゃいちばんちゃんとしているのが僕。県大会に行くような結構強い学校で、朝も放課後も結構厳しい練習をこなしてた。で、部活が終わって夜7時、8時ごろにそのまま友達の家でバンド練習して帰宅。だから忙しかったですよ。もしバスケの推薦で違う高校に進学していたら、今のメンバーと出会うこともなく、デビューしていなかったかもしれない。

ISAKICK

そうなると運命を感じますよね。

そうですね。でも当時からバンド練習はしてたから。初ライブは中2だったんだけど、ビジュアル系のコピーをやってた。だからメークとかしてたんですよ(笑)。

ISAKICK

高校時代は僕はもう175Rの活動が忙しくなり始めていたから、よく学校を早退してたなあ。

YOSHIAKI

基本的にYOSHIAKIの夏休みとかに合わせてツアーしてたんだけど、地方からも声がかかるようになったり、すごいいいイベントがあったりと、どうしてもって時はありましたね。

SHOGO

そうそう、で、俺が親に「平日にあんまりライブを入れないでくれ」って怒られたりして(笑)。でも親に反対されたことは一度もなかったですね。

KAZYA

5.変わってきた親との距離感、いまはツアーが両親の旅行代わり

僕は小さい頃から子役の養成所に入って歌のレッスンとかしてたんですけど、中学校のころ、先輩と一緒にカラオケに行って尾崎豊の曲を聴いてから、シンガーソングライターに憧れるようになって、本格的に歌のレッスンを始めたんです。だからバンドを始めたときも、デビューが決まったりしたときも、反対とかされずに、むしろ音楽やることをいつも応援してくれていた。いまでもそうですね。ライブを見に来てくれる。

SHOGO

俺もあんまり反対されたことはないですね。でも当時はあまり親とは会話をしていなかったかもしれない。反抗期とは違うんだけど、いまもそうだけど親に対してクールだったんですよね。兄弟もお姉ちゃんと妹だったから、あんまりしゃべらなかったし。家族の中では無口な子ですよ。

ISAKICK

ISAKICKは小さいときにお姉ちゃんとウインク踊らされていたみたいですよ。だからたまに女々しい(笑)。

KAZYA

寂しい熱帯魚、そんな感じでした。反抗期もなければ親にものすごく厳しくされたこともなかったんだけど、でも、親のしつけが厳しかったら逆にグレてたかもしれない。最近はしょっちゅうライブを見に来てくれるし、応援してくれています。東京にもよく来るし、北海道、沖縄のライブにも両親で来てくれる。そういう意味では親との距離感は大人になってから変わってきたかな。まあお父さんもお母さんも、そうやって地方を旅行するためのいい口実なんじゃない?

ISAKICK

家もそう。ちょっと小旅行がてら、みたいなのがいいみたい。共通の話題もできるし、むしろ前よりも仲良くなったかな、って思う。もちろん悪いことに憧れていた時期もあったし、反抗して怒られたりしたこともあったけど、高校入ってバンド始めたら、忙しくてそんなことする暇もなかったんだよね。中学時代に反抗していた頃は、自分が何をしたらいいのか、どこに向ったらいいのかわからなかったんだと思う。それがバンドをやり始めて先が見えた、と思った。

KAZYA

6.好きなことを堂々とやり続けること、そうすれば夢は必ず叶う!!

みなさんの中高生の頃の夢はなんでしたか?

小学校の頃の文集には「大きくなりたい」って書きました。

ISAKICK

なったじゃん(笑)!

KAZYA

そう、夢かなっちゃった(笑)!

ISAKICK

体重が?

SHOGO

まあ体も含めてすべてね。ちなみに中学時代の夢は、中学校の先生だった。白衣着た理科の先生に憧れて。

ISAKICK

へえ〜。俺の高校生の頃の夢はミュージシャン。

KAZYA

僕も漠然とミュージシャンに憧れていた。

YOSHIAKI

俺は、養成所に入っていたってのもあって、小学校の頃からずっと、舞台やステージに立つ人になりたかったですね。中学時代の卒業アルバムには「福岡ドームでライブをする」って書きました。当時は邦楽オタクで、音楽番組を録画したり、本や雑誌を読みまくって研究して、憧れのライブハウスを経て武道館までの道のりを決めていた。たとえば新宿ロフトでライブをして、日比谷公会堂、武道館……って段階を決めて想像するのが好きだった。

SHOGO

ちゃんと夢、叶ってますね。

そう。自分の描いた通りの道のりで、武道館まで行ってますね。福岡ドームはまだだけど、まだまだこれからチャンスはあるから。

SHOGO

夢って叶いますか?

叶いますね。

ISAKICK

いや、そうじゃなくって(笑)。

KAZYA

叶いますよ。ただそのためには「己を知る」ことですね。俺も中高時代は自分のことなんて漠然としかわかっていなかったから難しいと思うけど、でも自分のいいところ悪いところを知ってて、客観的に自分を見れるかどうかで、どうすれば伸びて行けるかがわかってくる。僕は具体的ではなかったけど、直感でそれがわかっていたんだと思う。18歳だしデビューするには最後のチャンスだと思ってたから、ムダな動きをしなかった。失敗せずに、こうしてこうすればメジャーデビューできる、って図式がすでにあったんです。またタイミングが合ったんだとも思うし、ブームにも乗れたんだと思うし。

SHOGO

いまの中高生って俺らの時代よりもモノや情報が豊富ですよね。いろんなものがありすぎて、逆に選べない人が多いのかもしれないね。俺たちは田舎者で、音楽しかなかったから打ち込めた、ってこともある。もし東京で生まれ育っていたら、ほかに目移りする遊びがたくさんあるから、ISAKICKなんか大変だったんじゃない?

KAZYA

何にでも広く浅く興味があるからね(笑)!

ISAKICK

ひとつのことに夢中になれることって大事なんじゃないかな、って思う。何をするにしても初めはめんどうくさいもの。でもめげずにやり続けて、それをいつか自分のものにする。

KAZYA

小さくても大きくても、夢を信じ続けることですね。メンタル的に自分の中で達成感を得れば自信になる。そうやって堂々と好きなことを続けて行って欲しい。

SHOGO

ありがとうございました。

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