今回も、HERO INTERVIEWでは芝原選手の幼少期から現在に至るまでのお話と、中高生に向けてのメッセージを頂きました。すばらしいお話に、とても面白いお話を織り交ぜつつ、インタビューいたしました。
(取材・文/小山基彰 写真/前田恵)
1.芝原仁一郎選手のロデオを始めた、一冊の本との出会い
ターニングポイント9人目のゲストは、日本人唯一のロデオライダー 芝原仁一郎選手です。よろしくお願いします。
宜しくおねがいします!
ブルライディングを始めようと思ったきっかけを教えて下さい。
93年に発行されたmonoマガジンに掲載されていたカウボーイ特集を見たのがきっかけです。僕自身カウボーイは映画のなかでしか見たことがなかったので、まだいるんだ!! っておもったんです。
最初はカウボーイのウエスタンファッションにあこがれて、そんな格好をしてました。そして23才の時、初めてテキサスに行って、ロデオとアイスホッケーの試合を見たんです。それまでロデオを見たこと無かったし、“ロデオが牛?”っていうのがとても新鮮でした。
カウボーイは、普段どんな仕事をしているんですか?
日本で言うところの畜産農家です。ただ、乳牛ではなくて、肉牛です。ちなみに乳牛を扱っている人はカウボーイではなくて、ファーマーといいます。
馬にまたがりながら、肉牛を管理しているんですね。
今のカウボーイは四輪バイクに乗っています。広大な敷地を馬で移動するのは大変らしく、馬だと、エサやりにも時間もかかるのが理由だそうです。ただ、地域によってカウボーイにも色々な種類があるんですよ。テキサス、モンタナ、アイダホ、カリフォルニア、カナダ、それぞれ文化の違いもあり、ファッションも全然違うんですよ。
2.ロデオとは
芝原選手は何で馬ではなくて、牛なんですか?カウボーイって暴れ馬にまたがっているイメージがあるんですが。
それはロデオの中の種目の違いです。“ロデオ”って8種目位あるカウボーイの大会の総称で、色々な競技があるんです。みなさんもご存知の通り、馬に乗る競技や、投げ縄、子牛を投げ倒す、危険な道を馬で走りぬけるなどの競技があります。オリンピックに柔道や、陸上、水泳、体操などがあるのとイメージは一緒です。小さい頃からカウボーイって人は、一人で2種目やる人もいます。
で、僕がやっているのは、オスの暴れ牛に乗る、“ブルライディング”という種目です。
“BULL”っていうのはオス牛を表わした言葉で、メス牛を“COW”、オスの子牛を“STEER”、メスの子牛を“HEIFER”って言います。
そんな巨大なBULLに踏まれたら、危ないですよね。
年間に、一人か二人は、BULLに踏まれて亡くなります。ニュースになりますよ「今日、ブルライダーが亡くなりました。」って。でも危ないからといってやめるカウボーイはいないですね。言葉で表わすのは難しいですが、ブルライディングには、それ位人を引きつける魅力があるのだと思います。
ブルライディングのルールを教えてください。
ルールはシンプルで、競技時間は8秒間です。その間、暴れる巨大なBULLに乗るんです。なんで8秒間かというと、BULLが暴れ続けるテンションのピークが8秒なんです。0秒から8秒に向かって暴れる勢いが上がっていくんです。で、牛に50点、ブルライダーに50点の合計100点満点で採点されます。大会によって異なりますが、だいたい平均70点~80点位の採点になります。これはスゴイ!!! というパフォーマンスを見せたときは、85点、90点のハイスコアがつきます。
ではその競技のときにBULLが暴れてくれなかったら、ロースコアになってしまうんですね。けっこう運が左右するんでしょうか?
45人のカウボーイがいたら、BULLも45頭います。どのBULLに乗るかは、抽選で決まります。当然、すごく暴れるBULLもいれば、そこそこ暴れるBULLもいます。すごく暴れるBULLに8秒間乗り続けられればハイスコアになりますが、落ちたら失格です。7.9秒で落ちても失格です。そしたら、そこそこ暴れるBULLに8秒間のり続けて70点というスコアのブルライダーの方が点数は上になり、勝つチャンスが生まれます。なので、どの大会でも誰が勝つかは本当に予想できないんです。だから面白いのだと思います。
アメリカって感じですね!!!
そうだよね。ギャンブルだよね(笑)。
3.中高生時代の芝原仁一郎少年
そんな芝原選手の中高生の頃のお話を伺いたいのですが、中高生の頃は部活をやっていたのでしょうか。
中学校のときは陸上部で、400メートル走と800メートル走の選手でした。
成績はいかがでしたか。
全然ダメで、400メートル走は1分位かかっていたと思います。だから地区大会に進めたくらいで、県大会にはいけたことがありませんでしたね。
高校生のときは何部だったんですか。
ドカベンの影響で、高校の時は硬式野球部でした(笑)。
どんな選手だったんですか。
打てない、捕れない、投げれないの3拍子そろった選手で、外野の補欠でした・・・(笑) その頃くらいからとても目が悪くなってしまって、となりで練習しているサッカー部に、「芝原あぶね~よ!!」って言われていました。打撃成績は、三年間でバッターボックスに立ったのが、練習試合の5打席だけで、しかも5三振です。数字はともなっていないですが、野球が大好きだったんですよ。
大会はどんな感じでしたか。
その時のうちのチームは、キャプテン、4番、エースがみんな違うメンバーで、とてもバランスのいいチームでした。で、前評判をくつがえし、岐阜県大会でベスト4になったんです。岐阜では普通科の高校の野球部がベスト4に入るのはとても珍しく、新聞にも載りましたね。
そんな強いチームなら、なかなかレギュラーになるのは大変ですよね。
レギュラーは凄いんですが、ひかえの選手の層がうすいチームでした。3回戦の時に、ショートを守っているキャプテンが怪我をしてしまって、三塁コーチャーになったんです。僕がそれまで三塁コーチャーだったので、ベンチに下がりました。悔しかったですね。唯一僕がチームで一番だったのは、長距離走でした。
芝原選手の才能を発揮できるポジションが野球にはなかったんですね。
確かにそうかもしてませんね。スタミナだけはあったんですが・・・
でも高校の三年間は楽しかったですね。
でも、どんな気持ちで野球をやっていたんですか。
僕は途中で投げ出すのが嫌なんです。レギュラーになれないから辞めるとか、そういう事は考えないですね。また、辞めたところでやることがないですからね。
4.七人の小人の恋
高校のときの楽しかった思い出はなんですか。
野球部も楽しかったですが、体育祭が楽しかったです。僕は三年間応援団をやっていました。また、マラソン大会も楽しい思い出です。全校で毎年4位でした。テニス部とサッカー部に速い子がいて、彼らには勝てませんでしたが。
ちなみに部活を辞めたいと思ったことはなかったんですか。
中学でも高校でも無かったです。ただ、高校の野球部の時、ちょっと違った理由で一度だけありました。
3年間大好きだった女の子が、彼氏を作ってしまった時です。しかもその彼氏が野球部のキャプテンで、キャプテンは僕がその子の事を好きな事を知っていたのに、付き合ってしまったので、それはとても辛かったですね。
その子とキャプテンが付き合った次の日の朝、僕は学校に行くと、みんなに「芝原大丈夫か?」って聞かれて、「なんで?」って言ったら、そのことを聞かされたんですよ。僕はその子と三年間クラスメイトでとても仲が良かったんですが、それからしばらくは口が聞けませんでした。でも卒業して20年以上たった今でもその子とは仲良しです。
芝原選手は中高生の時、クラスではどんな子でしたか。
今とは違って、ギャグばかりやっていました。よく先生に怒られて、背が高いのに一番前の座席が指定席でした。
明るいキャラ、ムードメーカーだったんですね。
そうですね。三年生の時の文化祭で、クラスで演劇をやろうという事になって、みんなで話し合った結果、シンデレラと白雪姫と赤頭巾ちゃんなどの昔話をミックスしたものをやろうと決めたんです。で、僕が構成して、本を沢山読んでいる女の子に脚本を書いてもらったんです。その女の子はクラスでは目立たない子で印象が薄かったので、どうにかこの子にクラスの人気者になってもらいたくて、その子にお願いしました。
芝原選手はとてもいい子だったんですね。ちなみに劇はどうだったんですか。
クラスメイトにサトシっていう、肌が白くて女の子みたいな男の子がいたので、彼に白雪姫をやらして、僕は180センチあったんですが、七人の小人の七人目をやっていました。他の6人はちびっ子でそろえて(笑)。監督兼役者です。
みんなが仲良くなれるように、したかったんですね。
そうですね。だから高校の時はいい思い出ばかりですね。
その時は大きくなったら何になりたかったですか。
電車の運転手になりたかったです。だから大学は商学部・観光学科に進学したんですよ。
5.ロデオの賞金はいくら!!?
ロデオの大会はどのような仕組みになっているのでしょうか。
2月29日に行なわれる試合は、PBRの試合で、PBRにもメジャーとマイナーみたいなものがあって、世界ランキング1位~45位までがメジャーの試合に出られて、46位以下はマイナーの試合という感じです。そして賞金ランキングで45位以内に入ると、ツアーに招待されます。
芝原選手も、そこを目標にしているのですね。
そんなに甘くないです。45位以内に入るというのは、次の次くらいの目標です。僕が今目標にしているのは、PBRやprcaという競技団体には所属しているんですが、、PBRなら2500ドル、、prcaなら1000ドルを一年間で稼ぐと、正式なカードフォルダーとしてプロと認められるんです。まずはそこですね。
大会の規模にもよって違うとは思うのですが、優勝賞金はいくら位なんですか。
PBRだと、5000ドル位ですね。地方のprcaの大会なんかに行ったりすると、賞金総額で1000ドル位だったりもするので、まちまちです。
賞金は、何位までもらえるんですか。
例えば、PBRで40人エントリーしている大会だとすると、以前は6位くらいまでしかもらえなかったんですが、最近は20位くらいまでもらえると言う話です。
20位だといくら位もらえるんですか。
100ドルくらいだと思います。ゴルフなんかと比べると、ロデオは賞金が少ないな・・・って思いますね。
チャンピオンはいくら位稼いでいるんですか。
ワールドチャンピオンになると、ボーナスが1億円でるので、合計で1億5千万円位の稼ぎになります。ただ、一億円を稼げるライダーは、年間に一人です。他のメジャースポーツから見ると、少ないですよね。松坂選手の110億円はすごいと思います。
6.アメリカでの不思議な生活
アスリートにとって食事はとても大切だと思うのですが、アメリカではどのように食事をとられているのでしょうか。
自分は、ホストファミリーの家でお世話になっているのですが、アメリカ人は日本人みたいに夕ごはんを自炊することはあまりないんです。基本的にはファーストフードのテイクアウトを家で食べるというのがアメリカンスタイルで、特に肉とジャガイモの料理が多く、そればかり食べてしまうと、トレーニングした意味がなくなってしまうので、自分で自炊して食べることが多いですね。
ホストファミリーというのはどういう仕組みなんでしょうか?
イメージはアメリカ人のお宅に居候という感じです。(笑) 僕はとてもラッキーで、2001年に出場した大会で、ブルファイターをやっていたアメリカ人と仲良くなり、それから彼の実家でお世話になっているんです。
ブルファイターってなんですか?また新しいポジションがでてきましたが。
ブルファイターとは、ブルライダーがBULLから降りるときや振り落とされたとき、その暴れているBULLの意識を引き付けて、ブルライダーを逃がす役目をしてくれる人達です。
で、そのブルファイターの家にお世話になっているんですね。
彼と出会った次の年の2002年にソルトレイクで冬季オリンピックがあって、その期間中に10日間位アマチュアのロデオの大会が開催されるということだったので、出場したいと思い、彼にその間泊まらせてくれってお願いしたんです。
それからずっと彼の家(実家)にお世話になっています。今では僕の部屋まであるんですよ。日本の実家には僕の部屋なんて無いのに・・・(笑)。彼の両親には、息子同様の扱いを受けています。
そうですか、とてもいいお話ですね。
そうですね。彼は結婚して、その家を出てってしまったので、今では彼の両親と、僕の3人暮らしです(笑)。
ちなみに家賃はいくらですか。
家賃はありません。食費もありませんし、冷蔵庫に入っているものは勝手に食べていいことになっています。でもそれだとあまりにも申し訳ないので、時々は彼らにも僕の手料理を振舞います。
7.部活OBとしてのアドバイス
部活をやる事って大事でしょうか。
僕の時代は部活しかなかったけど、今は選択肢が増えたので、あえて部活ではなくても良いと思います。ただ、自分でやろうと決めた事は、あきらめないでやりぬいて欲しいですね。今、「何やりたいの?」って聞いても答えられない子は、選択肢が多すぎて、答えられないのだと思いますよ。
大人になってから、部活をやっていて良かったなって思うことはありますか。
選手としてトレーニングは欠かせないんだけど、トレーニングってけっこうきついよね。だけど、部活をやっていた時にトレーニングをしていたおかげで、トレーニングに対して、違和感が無く取り組めたことが良かったですね。
試合前の緊張感とはどのように向き合っていますか。
緊張がピークに向かって上がっていく途中って、良いパフォーマンスが出ないですよね。一番良いパフォーマンスが出るのは、緊張のピークを少し過ぎたあたりなんですよね。ロデオもそうだけど、個人競技は団体競技と違って、みんなで、「ヨッシャー行くぞ!!」みたいなかけ声とかって無いじゃないですか。僕の場合、試合前のストレッチ、ウォーミングアップで緊張感が高まってきたら、まず遠くの景色を見ます。そして、他の選手と少し会話をしたり、横に寝転んだりして、リラックスするようにしています。
とてもよく分かります。僕も相撲をやっていた事があるのですが、取り組み前は、本当に緊張するんですが、土俵に上がるともっと緊張するんです。そんな時、土俵の上から、遠くを見るようにしています。なぜか遠くを見ると、少し落ち着くんですよね。よく大相撲中継で、朝青龍が花道の奥にいる付き人にうなずく動作をしているのを、よく目にすると思うのですが、それはそういう意味があるのではないかとも思っています。落ち込んだときは、そこからの復活の仕方で、良い方法はありますか?
泣いてスッキリさせます。気持ちの切り替えが難しい人は、その落ち込んだ原因を作った事とは関係ない事をするといいと思います。例えば、映画を見に行くとか、好きな子とデートするとかね。
では、好きな子にふられた時は(笑)?
ふられた時は、なるべく尾を引かないようにします(笑)。オトコは未練たらしいですからね… そう考えると、女の子は気持ちの切り替えが早い気がしますね(笑)。一番いいのが、その子とはあわなかったんだと思うことです。そして次の女の子を探しに行きます。ぼくはかれこれ3年半も探し続けいていますが・・・(笑)
げんかつぎとかはありますか。
お守りを沢山持っています。色々な友達が、お守りをくれるので。あと、日本に戻ってきているときは、神社やお寺でお参りをします。良い成績が残せるようにとか、家族が幸せでありますようにとか、どうしても運って大事だと思うので、そういうことは大切にしています。
芝原選手は、“先輩とは、こうあるべきである“ みたいなものはありますか。
ないですね・・・ 先輩後輩関係なく、人として接すればいいのではないでしょうか。
芝原選手が、今まで色々なスポーツをやってきたなかで、リスペクトした指導者はいますか。
中学の陸上部の顧問の先生と、高校の野球部の顧問の先生には、とてもお世話になったので、感謝しています。
ロデオを始めてから、リスペクトしたコーチは二人いて、一人は1987年のカナディアンチャンピオンになったブルライダー、もう一人は1970年のワールドチャンピオンになったブルライダーです。僕は彼らのロデオスクールに行き、フィジカルとメンタル、メディテーション(瞑想)について、ホントに大事な事を教わりました。
イメージトレーニングって大事ですよね。私も試合前は、勝つイメージを頭の中でシュミレーションします。 ロデオの場合は試合時間が8秒なので、その8秒、どうBULLに乗りこなすのかをイメージするのでしょうか?
BULLがどう動くかは予想がつかないので、基本的には難しいですね。 イメージしたとしても、僕の中では5秒までは出来ますが、その先はイメージできません。
ブルースリーの“燃えよドラゴン”って見ましたか? その中で、彼は、“考えるな。感じろ。”と言うんですよ。ロデオはそれと一緒で、考えちゃいけないんです。BULLについていくだけなんです。
8.ターニングポイント
ロデオに対する、モットーは何ですか。
「毎回真剣」というのがモットーです。命がかかっていますからね。
今までで嬉しかったこと、つらかったことはなんでしょうか。
嬉しかったことは、ロデオの大会で優勝して、優勝バックルをもらった事と、プロのロデオの大会に出られる許可証を手に入れた時です。日本人では前例が無かったので、それが何より嬉しかったです。PBRでは日本人として初めてだったので、ホント嬉しかったです。
つらかったことは、やはり怪我ですね。2年前に試合で落ちて骨盤の先にある三角形の部分を骨折したことや、顔面の目の周りの部分を五ヶ所骨折したことです。牛にKOされて怪我をするときは、意識を失っているので全然記憶が無く、後から人づてに聞ききますよ(笑)。
僕とは二年ぶりの再会ですが、覚えていてくれたのでしょうか(笑)。
その時はKOされていなかったんで、覚えています(笑)。
9.中高生へのメッセージ
芝原選手の今までの人生のなかでのターニングポイントを教えてください。
20代の後半に、今後の人生について、色々な人と出会い、話して、思い悩んでいたときがあったんです。そんな時、カリフォルニアで行なわれたロデオ大会で2位になって賞金をとってしまったんです。それで、いけるんじゃないか!!! って思ってしまったんですよ(笑)。
そして2003年の1月に、カリフォルニアのロデオスクールに行って、1970年のワールドチャンピオンに教わったんです。そして彼にも、今後のことを相談したら、「何を迷う必要があるんだ!! 行きたいと思えば行けばいいじゃないか!!!」って言われたんです。それがロデオで行こうと決めたターニングポイントですね。
最後に、中高生へのメッセージをお願いします!
人に迷惑をかけないで、好きな事をやってほしいですね。中には、やりたいことが無い人もいると思いますが、そういう人は、無理に見つけようとしなくてもいいと思います。生きていくうちに自然と、やりたいことに出会いますから。16才で見つかる人もいれば、60歳になってから見つけられる人もいます。あせらないで自然体で毎日楽しく生きていってほしいです。
10.芝原仁一郎選手プロフィール
芝原選手の身長・体重は。
184センチ/76キロ。
初めてブルライディングをしたのは。
1995年です。
初めて賞金を獲得したのは。
2001年です。
初優勝したのはいつですか。
2003年です。
趣味は。
写真と料理です。
休日はどのように過ごされていますか。
東京にいる時は、おもに散歩してます。 ユタにいる時は、ドライブや映画鑑賞が中心です。
彼女はいますか。
2004年に別れてから、今はフリーです(笑)。
では、好きな女性のタイプは。
背が高くてグラマラスな人で、自立をしていて、好きなことをやっていて、日本だけではなくて世界に関心を持っている人で、日本語と英語が話せて、料理が上手な人。
理想が高いですね(笑)。ちなみに、初恋は?
中学校の時で、「あべみよこさん」という素敵な女性です(笑)。
中高生の時に、尊敬していた人は誰ですか。
戦国武将の真田幸村です。
ブルライディング以外で、今一番好きな事はなんですか。
日本に帰ってきたときに色々な人に会う事です!!
中高生の時の、あだ名は。
ティッシュ芝原、バーゴン(中学時)、シバ(高校時)です。中学の時に、あまりにもよく鼻血を出していたので、家からボックスティッシュを持って入ってたんです。それが「ティッシュ」の由来です。
好きな食べ物はなんですか。
カレーライス、豚肉、鶏肉料理、魚料理です。
血液型は。
B型です。
年齢は。
37才です。
ありがとうございました。