(取材・文/若山あや 写真/小山基彰)
1.柔道をはじめたきっかけは
幼い頃からの親父の武勇伝
江種選手が柔道をはじめたきっかけから教えてください。
親父が柔道をやっているんですが、子供の頃からこの親父から夕食時に聞かされる武勇伝が直接のきっかけかな。学生チャンピオンになったときの話や昔話を毎晩聞かされていましたね。で、挙げ句に「お前は勉強もできないし、何をやってもダメだし」っていわれて(笑)。それなら親父が自信を持っている柔道で、親父を見返してやろう、って思って柔道を始めました。
じゃあ子供のころから柔道一筋だったんですか?
いや、それが小学校低学年は入会特典のエレクトーンの形をした貯金箱欲しさに始めた、エレクトーンを習っていました。舞台の上で演奏が終わるたびに決めポーズをするのが快感で(笑)! だけどエレクトーンでは親父を見返せない、ってことに気づいた。それで憧れている大好きなジャッキーチェーンのようにケンカがしたい、って空手を始めたんです。でも試合では全然勝てないし、型で勝ち負けを決めるから、子供心にそのルールがしっくりこなくて。なんで今俺負けたの? って。ある日、おなじ体育館で柔道と剣道と空手の試合がいっぺんに行われていたんだけど、隣で柔道の試合をやっていて、子供が取っ組み合ってケンカみたいなのをしているのを見て、あ、これだ、って柔道を始めた。11歳のころでしたね。
空手よりも柔道の方が面白かったですか?
う〜ん、それよりもただ単純に親父に勝ちたかった、ってのが大きいかな。初めての町内の試合で、技をかけようと思ったら逆に返されて、脳しんとうをおこして速攻で負けたんですよ。そこで初めて悔しさを味わったとき、武勇伝を思い出して「親父やるなあ」って思った。
2.柔道一筋でいこうと決めた中学時代
体の成長が遅くて負けてばかりだった
当時、憧れていた柔道選手はいたんですか?
いませんでしたね。有名人で知っているのは松田聖子とジャッキーチェーンぐらい(笑)。
じゃあ柔道に魅せられはじめたのはいつ頃なんですか?
いつかなあ? 小学校の頃は「お腹が痛い」とか「忘れてた!」とかいって練習をサボっていました。でも中学校にあがる時に、電車にのってちょっと離れた場所にある中学校の柔道部が強かったので地元の中学に行かずに、挑戦するつもりでその中学に入った。今思うと当時の練習はすごいストイックで、今の自分よりも練習している印象でした。ただ、自分は体の成長が遅くて、いつまでも声が高くてひとりだけ子供だったんですよ。周りにはオッサンみたいなヤツらが増えていって、力でも全然負けていた。だけど「中学時代に同じ強さなら大人になった時は勝てる」って思っていた。ずっと柔道を続けていこうと意識したのはこの頃ですね。
その頃、印象に残る試合はありましたか?
中3の最後の試合が中体連につながる地区大会で、いちばん下の55kg級に出ることになっていたんだけど、自分は45kgしかなかったんです。で、試合当日の朝、オカンが大盛りのカツカレーを出してきたんですよ。緊張していて食が細くなっていたところに、その大盛りカツカレーを食べたもんだから、食べ終わった直後にすべて吐いて。結局、栄養ドリンクだけで試合に出て負けました。中学時代は結局全然勝てなかったですね。でも部を引退してからも自分で決めたトレーニングを毎日していた。努力するのが好きだったから、授業中も勉強せずにハンドグリップで握力鍛えたり、放課後にけんすいやチューブ使ってトレーニングしたり、下半身強化でうさぎ跳び300mしたり……高校に入っても、自己流トレーニングは欠かさなかった。
すごい努力をしていたんですね。なにがそうさせたんですか?
「日本一練習したヤツが日本一になれる。世界一練習したヤツが世界一になれる」って信じていたんですよ。だからがむしゃらに、ひたすら練習していた。毎日の練習ってキツくていやなんだけど、負けた時の屈辱はもっとツラくて、死んだ方がマシだ、って思うぐらいだった。でも死ぬなら練習で死んでやろう、って思っていたから、毎日「今日の練習で死んでやろう」とか「今日はこれだけ練習して疲れているから死ねるかもしれない」って思っていた(笑)。そうやってツライことも乗り越えてきたんです。そしてようやく高校2年の新人戦で初めて優勝できたんです。その時に「努力って実るんだなあ」ってよろこびを実感して、同時に世界チャンピオンの目標が見えました。
3.日本一練習したヤツが日本一に
世界一練習したヤツは世界一に!
中学、高校と自己流トレーニングを欠かさなかったそうですが、すごい努力をしていたんですね。なにがそうさせたのでしょうか。
「日本一練習したヤツが日本一になれる。世界一練習したヤツが世界一になれる」って信じていたんですよ。だからがむしゃらに、ひたすら練習していた。毎日の練習ってキツくていやなんだけど、負けた時の屈辱はもっとツラくて、死んだ方がマシだ、って思うぐらいだった。でも死ぬなら練習で死んでやろう、って思っていたから、毎日「今日の練習で死んでやろう」とか「今日はこれだけ練習して疲れているから死ねるかもしれない」って思っていた(笑)。そうやってツライことも乗り越えてきたんです。そしてようやく高校2年の新人戦で初めて優勝できたんです。その時に「努力って実るんだなあ」ってよろこびを実感して、同時に世界チャンピオンの目標が見えました。
すごい! 努力が見事に実っていますよね。目標があっての練習や努力だったのでしょうか。
小学校の卒業文集に「柔道かサッカーでオリンピックに出る」って書いたんだけど、中学校の時の目標は20歳の時に行われるアトランタオリンピックで金メダルをとることだったんです。
トレーニングに夢中になるだけじゃなくて、中学高校時代って好きな子とかできたりもするんじゃないですか?
いましたよ(笑)。隣のクラスの子が自分のことを好きだって噂を聞いて、最初は何とも思わなかったのに、意識しはじめたらめちゃめちゃその子のことが好きになっちゃって(笑)。柔道部の体でっかいヤツらに抱えられてそのこの前に連れていかれた時には、猛ダッシュで逃げましたけど。でも、あとから聞いたら、その子が自分のことが好きってのは嘘だったんですよ! 恥ずかしかったですね(笑)。
4.ターニングポイントがあるとすれば
それは柔道をやめるとき
あははは。ところで、柔道を始めてからこれまで、いちばんのターニングポイントはいつですか?
大学を卒業して社会人1年目、成績が全然あがらない時期があったんです。で、ある時「この試合に勝てなかったら終わりだな」って覚悟した試合があった。全日本の選抜に残れるかどうかがかかっていたから、自分の全柔道人生をかけてやろう、って試合に集中していた。決勝までいき、残りラスト40秒でリードしていたんです。でも何が何でも確実に勝ちたいから、残り7秒だったけど不十分な体勢で技をかけた。そうしたら相手に返されて、残り3秒で負けたんです。これは本当に悔しくて。別に残りの数秒で技をかける必要なんてなかったんですよね。勝てる試合だったのに、自分でわざわざ負けを選んだ結果になったことに、相手も笑っていましたね。それからはムダな「焦り」に対して、メンタル的に考えるようになった。ただ、これがターニングポイントではないと思っているんです。柔道をやっている限りでは、自分にはターニングポイントはないかな。もしあるとすれば、柔道をやめるときじゃないかな。
なるほど! 江種選手は何かジンクスはありますか?
めんどうくさいからやらないようにしていますね。A型だから、一度何かを気にしはじめたり頼り始めると、ずっと気にしちゃうから。だったら逆に、負けた時のパンツを履いて勝負して、負けのジンクスをなくしたいぐらい。
今の目標は何ですか?
目標はいつもオリンピック。だから今は北京オリンピックを目指しています。
楽しみにしています。がんばってください! ところで、アドバイスをしていただきたいのですが、もし自分よりも格上の選手と対戦することになったら、どうしたらいいですか?
そうだなあ……格上の選手に勝つための心理状態を作るって難しいんですが、でもまずは自分がしてきた練習を信じること。「日本一練習したヤツが日本一になる」んですから。それに、格上だとはいえ、自分の目標はもっと先にあるはず。それなら格上の選手だろうが通過点であって、そいつに勝たないと、目標達成できませんからね。
確かに! 心強いアドバイスをありがとうございます。最後に全国の柔道に励む中高生にメッセージをください。
中学高校は、まだまだこれからいかようにもなる。自分の意識次第で全然違うし、目標を明確に決めたら、確実に目指せるし手に入れられる年齢です。「できないかもしれない」って思ったらその程度。「俺は絶対になる!」って自分を信じることができれば、夢は絶対に叶います! がんばって!
ありがとうございました。