YELL 部活応援プロジェクト [エール]

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2007年5月~2018年3月、日本を代表するトップアスリートのインタビューはこちら!

森 喜朗

ラグビー : 第85代・86代内閣総理大臣

今回の「いつも心に“部活道” ~先輩からのメッセージ~」は、第85代・86代内閣総理大臣 森喜朗先輩 です。3月25日のメジャーリーグ日本開幕シリーズ第1戦「アスレチックス対レッドソックス」での始球式を務めた 森喜朗元首相 はスポーツを通して国内外で様々な活動を行なっている、トップリーダー。勉強するのも大事だが、一番大切なのは色々な人との出会いであり、コミュニケーションを通じて学ぶことであると語る、森喜朗元首相に「部活」というキーワードで、お話をお伺いいたしました。 (取材・文/小山基彰  写真/大橋愛)

森喜朗元首相の“部活道”

森先生が、高校、大学とラグビー部だった事は有名ですが、中学生の時は何か部活をされていたのですか。

中学生時代はバスケットボール部でした。高校でラグビー部に入りたいと思っていたんですが、その頃の私は、前から数えるくらいとても体が小さかったので、少しでも大きくなりたいと思い、その為に鉄棒にぶら下がってみたり、色々と努力していました。なので、特にバスケットボールがやりたいと思って入部していたわけではなく、大きくなりたいという目的と、ラグビーで活かせるような激しいスポーツはなんだ? と考えた時に、中学ではバスケットボールが一番激しかったので、それが入部の理由です。試合に出たいとか選手になりたいとかは考えていませんでした(笑)。

森 喜朗

そうだったんですか。ラグビーの為にバスケットボール部に入って頑張っていたんですね。

そうですね。その頃の私は、早稲田大学のラグビー部に入ることが夢だったので、その当時、石川県で一番ラグビーの強い、県立金沢二水高校でラグビーをしようと、その高校に進学できる通学区域の中学に汽車通学をしていました。一般的には受験の為に越境通学する事が多いですが、私は高校でラグビーをやりたいという目的で越境していたんです。

森 喜朗

森先生は、ラグビーのどの部分に魅力を感じたのですか。

私に物心がついた頃、父は戦争に出兵していましたし、母も私が小学校一年生の頃に亡くなっていました。そんな中、小さいころの私は、玄関の下駄箱の上にある皮のグローブと、空気の抜けた楕円形のボールを見て、これはなんだろうな? と誰にも聞けずに思っていました。そして、もう生きては帰ってこられないだろうと思っていた父が戦場から戻ってきたので尋ねてみると、それがラグビーというスポーツで使う物だという事がわかったんです。そんな時に、早稲田大学のラグビー部が偶然、私の通っている小学校で合宿をするようになったんです。私は早稲田のラグビー部の選手たちの練習を毎日毎日見ていました。そして、カッコいいな~!!! 俺は大きくなったらこれをやるぞ!!! って心に決めたんです。

森 喜朗

ご両親は森先生の夢に応援してくれたんですね。

私の父も、戦前の早稲田のラグビー部だったので、すぐに理解し応援してくれました。中学を探してきてくれたのも父ですからね。早稲田でラグビーをやりたいという一心で、朝6時に家を出て、歩きと汽車で2時間かけて通学するという事を中高6年間やりとげられたのは、今振り返っても頑張ったなと思います。

森 喜朗

高校のラグビー部はいかがでしたか。

あこがれていた高校のラグビー部に入ると、先輩が 「あんなちっちゃい子、使えるか!??」、「でも、あいつは森さん(お父さん)のお子さんだから、そんな事言うなよ!!」、「まぁ、とりあえず入れてやるか・・・」 と、そんな会話が部室のドア越しに聞こえてきたんです。私の父は、その頃、石川県にある旧制の四高や石川工業などでラグビーのコーチをしていましたので、高校でラグビーをやっている先輩たちは、私の父をよく知っていたんです。私は、お情けで入れてもらった事で闘志が沸き、ここで絶対に結果をだしてやると、心に誓ったんです。

森 喜朗

森先生は日本の首相まで務めていますが、中高での部活経験は活きましたか。

色々な場面で活きてきましたね。練習も厳しいし、怪我をしても休ませてもらえなかったし、今みたいに、試合中、怪我をして交代というルールが無かったから、怪我をしても試合に出続けるか、やめるかしかなかったんです。だからレギュラーの責任は大きかったんですよ。この私の曲がった小指は、私が高校で初めてレギュラーとして出させてもらった試合で怪我をしてしまったものなんです。だからこの小指を見ると今でもその当時の、初レギュラーになれて嬉しかった事と、頑張ったことを思い出すんですよ。 きたない話、夏合宿では真っ赤な小便が出るんですよ(笑)。そんな中で、逆境や辛い事、嫌な事に我武者羅に向かっていくという訓練が出来たんだと思っています。若いときにそういう困難を経験すれば、大人になった時に、色々な場面で乗り越えられると思うんです。

森 喜朗

密度の濃い日々を送られていたんですね。

人間の人生は一回しかないですよね。中学一年生の一年間も365日しかないですし、高校三年生の一年間も356日しかありません。そんな大事な時期を一日だって無駄にしてはいけないですよね。勉強も大事ですが、人間関係はもっと大事です。勉強だけして、いい学校に入って、いい会社に入っても、その会社が潰れてしまったら何も無くなってしまうんですよ。勉強だけしていれば大丈夫だと考えている子、親がいるなら、それは考え直した方が良いですね。人生で何が一番大事かを。

森 喜朗

ラグビー部から弁論部へ

ところで、森先生はいつから政治家を志したのでしょうか。

小学生の頃からの念願だった、早稲田大学のラグビー部に入部したものの、一年生の時に胃を壊したんです。頑張って続けようと思ったら続けられたのですが、他の部員の才能を目の当たりにして、自分に限界を感じたんです。そして練習にも出ず、ふてくされていた時、郷里の先輩に呼び出されて、「おまえ何やっているんだ!! 毎日がもったいないと思わないのか!?」って説教されたんです。そこで、180度方向転換して、早稲田の雄弁会(弁論部)に入部したんです。最初は嫌で断ったのですが、その時先輩に、「やって後悔するのか、やらないで後悔するのか、森はどっちがいいと思う?」と、先輩に言われたんです。でもまだその時は政治家を目指していたわけでは無かったのですが、周りのメンバーは今でも政治家として活躍している人たちばかりで、当時の雄弁会の幹事長は西岡武夫さん(民主党)で、青木幹雄さん(自民党)、渡部恒三さん、海部俊樹さんが先輩、同期に深谷隆司さん、一学年後輩に玉澤徳一郎さん、二年後輩に小渕恵三さんらがいて、自然と影響を受けていたのだと思います。

森 喜朗

ラグビー部から弁論部への方向転換は、つらかったでしょうね。

つらかったのもありますが、申し訳無いという思いが強かったですね。早稲田のラグビー部の監督である、大西鐡之祐(てつのすけ)さんの所にいき、「ラグビー部を辞めるので、早稲田大学を退学します」と、言いに行ったら、すごく怒られて、「人生においてラグビーなんてちっぽけなものじゃないか。そんなに早稲田のラグビー部に悪いと思っているのなら、将来もっと立派になってラグビーに恩返しをしろ!! その位大きな人物になれ!!!」と、言われました。その言葉は、本当に私の心に響きました。

森 喜朗

卒業後は、政治家になる為に活動したのですか。

最初は産経新聞に入社しました。希望は政治部だったのですが、いつまでたっても政治部に入れてくれないので、ここもすぐに退社し政治家への道を早める結果になりました。わたしは、人生はラグビーボールと一緒だと思っています。どこに転がるかわからないですからね。

森 喜朗

中高生へのメッセージ

部活の先輩として中高生へのメッセージをお願いいたします。

何でもよいので、可能性にチャレンジしてほしいです。山登りでもいいし、フラフープを20回やろうでもいいし、授業中眠らないようにしようということもいいんです。中高生なら好きな子とかもいるだろうから、そういう事に対して努力する事でもいいと思います。今日は話せなかったけど、明日は挨拶しよう。来週は、おしゃべり出来るようになろう! そういう毎日を過ごせたら楽しいですよね(笑)。そして告白しても振り向いてもらえなかたったら、次のチャレンジをすればいいんです。そして到達したときには嬉しいし、新たな発見が出てきますよ。

森 喜朗

今後、日本、日本人はどのように進んでいくべきなのでしょうか。

これからは学歴とかでは無く、その人の持つ人間として個性と魅力が大事になってくると思います。色々な事が出来れば、それだけ色々な事ができるチャンスも増えるわけですから。それと、これからは日本だけではなく、世界も視野に入れて世界でどう生きるかも考えていかなくてはなりません。どのような道に進んでも、何をやるにしても仲間は大事です。それには中高生時代に部活動を通して学ぶ事が大事だと思います。部活動はスポーツではなくても良いです。写真でも絵でもどんな事でも良いですから、色々な人と関わって、人を見る目を養って、さらに自分の魅力を磨いていってほしいです。人に迷惑をかけない事、ハレンチな事をしないこと、後ろに手が回るような事をしないこと、そのような原則を守っていれば、多少何をやってもゆるされると思うので、色々とチャレンジしてください。苦しいことをチャレンジするという事は、楽しい事だと思わないとね。

森 喜朗

ありがとうございました。

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