ボート部でインターハイに
日向武史先輩が中高時代に活動していた部活動は。
中学のときは剣道を、高校のときはボートをやってました。
数多くある部活の中で、なぜ剣道部、ボート部だったんですか。
うーん…なんででしょう? たぶん勢いだと思います。ボートはまったく未知のスポーツで楽しそうだったので入部したんだと思います。
「あひるの空」にも数多くの部活の名場面が描かれていますが、日向先輩の中高時代の部活の思い出の中で、一番嬉しかったのは何でしょうか。
高3のときに、宮城インターハイに出れたことです。ボートという競技はメジャーではなく、当時茨城(地元)にはボート部のある高校は3校だけでした。インターハイは県から1校出場できるのですが、その3校のうち1校が全国1位の強豪でして、3年間ひたすら負け続けたんですが、最後の最後、やっと勝つことができてインターハイに出場する事ができたんです。でもそこで燃え尽きてしまって、インターハイでは予選落ちでした。それでもなんとゆうか…3年間走り続けたことが今までの人生の中で1番大きな思い出です。本当に楽しかったです。
ちなみに、一番つらかった思い出は何ですか。
あまり…ないかもしれません。強いて言えば3年間負け続けたことです。
女子部の子
「あひるの空」にも、数多く部活以外での人間模様が描かれていますが、日向先輩の中高時代、部活以外ではどんなキャラクターだったのでしょうか。
自慢ではありませんが(ボート部では)キャプテンでした。でも留年を何度もしそうになりました。といっても不良というわけではなくて、部活だけ行って、あまり学校(授業)に行きませんでした。部室(※艇庫という)が学校から離れたトコにあるので一日中そこにいて練習だけ出ていました。
「あひるの空」にも、七尾さんやまどかさんなど、素敵な女子が登場しますが、日向先輩の中高時代の恋愛エピソードを教えてください。
高1のときに部活を始めてすぐ女子部の子となんかいい感じになって。その子が今の奥さんです。
中高生へのメッセージ
「あひるの空」のコミック第14巻に、ダラダラぶらぶら過ごしていた二十歳の頃、なにかやんなきゃとその一歩を踏み出した。と書かれていますが、漫画家として勝負しようと思った理由と、きっかけを教えてください。
漫画家を志したのはけっこう遅かったので・・・。25才くらい。それまでは映画を作りたくて、その道でがんばってたんだけど挫折して。とにかくもう人と付き合うことがものすごく下手なので・・ 監督も脚本も演出もキャスティングも全部一人でできるのは漫画しかないんじゃないかと思ってそれで。その後のことは単行本23巻のおまけ漫画で描いています。定価419円(税別)です。ぜひご購入ください(笑)。
なぜ高校男子バスケットボールという分野で漫画を描こうと思ったのでしょうか。
『スラムダンク』を越せるバスケ漫画は絶対に出ないと解っていても、どこかで別のバスケ漫画を欲していた自分がいました。当時連載用のネーム(コマ割)を考えてたときにも、マガジンとサンデーでバスケ漫画をやっていたんですが・・。何か違うと。後にずっとしょーもないバスケ漫画が乱発されるくらいなら自分でやろうと思いました。スラムダンクに及ばなくても自分にしかできないことで勝負してみようと。それでです。
「あひるの空」のストーリーの中にも、部活を通して成長していく部員の姿が数多く描かれていますが、日向先輩が中高時代の部活動を通して学んだこと、成長できたことは何でしょうか。また、大人になってから、漫画家になってから、部活の経験で役に立ったことはありますか。
部活というか・・中学のとき、つまらない理由でバスケ部に入らなかったことが大きいです。バスケをやりたかったのに・・・思い切りやれるチャンスを棒にふってしまったことをずっと後悔していました。高校を卒業してからスラムダンクでバスケ熱が再発して、仲間を集めてクラブチーム作って「本気でやりたい」と思ったときには、もう何もかもが遅くて・・・。そのときの想いを今まさに作品の中で昇華してます。役に立っているといえば立っています(笑)。でも成長はあまりできてないかと・・・。
最後に部活の先輩として、中高生へメッセージをお願いいたします。
漫画の中に「あの熱量を体感できる場所は他のどこにもない」と部活動を指してのセリフがあるんですが、あくまでもそれはその場所を通りすぎてしまった大人の意見なので。『右の扉が正解だよ』と大人が言っても、左の扉が気になるのであれば迷わず左に行ってほしいと思います。
その通りですよね。人生は、後悔してもやり直すことができない一回きりのガチンコですから。本日はお忙しい中、ありがとうございました。