YELL 部活応援プロジェクト [エール]

SHARE

SHARE

UPPERCUTS B

2007年5月~2018年3月、日本を代表するトップアスリートのインタビューはこちら!

中村 憲剛

サッカー : 川崎フロンターレ

2010FIFAワールドカップをはじめ、国際試合にも日本代表として出場し、活躍。在籍する川崎フロンターレはもちろん、いまや日本のサッカー界にとって必要不可欠な存在の中村憲剛選手。サッカーへの熱い想いを語って頂きました。中村選手から中高生へ向けての魂こもったメッセージも必見! ( 取材・文/若山あや )

小さいことが大のコンプレックス、だから技術をあげることに力をいれた

サッカーをはじめたきっかけを教えてください。

小学校に入るときに、親同士で「子供たちになにかやらせたいね」って話になり「じゃあサッカークラブは?」ってことで府中の少年団に入団したのが、きっかけです。母の話によると、野球よりはボールを蹴る方が好きな子供だったみたい。それに体育の授業でバレーボールやバスケ、卓球などいろいろやりましたが、ほかのスポーツはまるでダメで、むいていなかったんです。

中村 憲剛

では、それ以降、サッカー一筋というわけですね。

そうですね。でも、中学生になって府中のクラブに通ってたんですが、半年ぐらいで辞めてしまったことがありました。理由は背が低いというコンプレックスから。いまでも細くて小柄な方ですが、その当時でも136cmしかなくて小さかったんです。小学校ならまだそれでよかったけど、中学校ではそれぞれ体格に差が出はじめてきて、やっぱり背が小さいと厳しくなってきた。それに自分がイメージしていることと違ってきちゃって。それで、クラブを辞め、半年ぐらいは遊びでボールを蹴っていました。中2になってから地元・小金井の中学校のサッカー部に入り直しました。やっぱりサッカーが好きだったから純粋にサッカーがやりたい、って気持ちからでした。

中村 憲剛

当時からプロへの意識はありましたか?

93年、ちょうど僕が中1のときにJリーグが開幕したんですね。テレビでみる限りJリーグの世界ってすっごい華やかで、自分もそこにいきたいなと、ただ漠然に思っていました。でも、まさかプロになれるなんて思ってもいなかった。特別いい選手でもなければ選抜のメンバーだったわけでもないですから。中学時代は、大好きなサッカーが学校の部活で普通にできればよかったんです。高校になって、都立久留米高校というサッカーがそこそこ強い学校に入ったのですが、そこでようやく、腰をすえてじっくりチャレンジしようと決心しました。

中村 憲剛

最初からポジションはいまのミッドフィルダーだったんですか?

小学校のときはフォワードだったんですが、身長が低かったし、ドリブルですいすいと前に進むタイプだったので中学ぐらいからミッドフィルダーに。本当に体が小さくて細いことがコンプレックスで、それをカバーするためにはポジションを変更するしかもう手段がなかったんです。

中村 憲剛

ポジション変更後、とくに力を入れた練習はどんなことですか?

トラップをうまくなることと、相手にうまくパスを出すことに、とにかく一生懸命になりました。それがコンプレックスをカバーする唯一の方法。フリーでボールを蹴らせたら、そこそこうまくできたので、それが長所になるかもしれない。当然、敵も止めにかかるので、いかに個人プレーの技術をあげるか、そればかり考えていました。牛乳を飲めば背が高くなるなんてよく聞くけど、お腹壊しちゃうタイプなんで(笑)! うれしかった思い出? 中高時代は、悔しかった思い出しかない。負けるたびに悔しさをかみしめていた。もちろん、試合に勝つことがすべての目標でしたから。

中村 憲剛

とにかくサッカーに熱中していたんですね。

そうですね。通学も、家から高校まで、自転車を全力でこいで30分はかかっていたんです。毎日練習でヘトヘトになり、家に帰るともう夜の7時まわっていて、ご飯たべてお風呂入って寝るだけ。だから家で勉強なんてとても! でもそのかわり、勉強は授業中にしっかりやりましたよ。中高の授業中に一度も寝たことはないです。やらないより、やって点数が低かったらしょうがないかな、って諦められるしね。サッカーもおなじ考え。いつでもベストをつくすために、精一杯練習したい。じゃないと次へはつながらないし、負けたくないんです。昔からそういう性格なんです。

中村 憲剛

いまプロでいられるのは「サッカーが大好き」だから

自分のプレーに自信を持てるようになったのは、いつごろからですか?

ほかの人とくらべても進歩のスピードが遅いタイプだったんです。だから高校時代に、身長がなんとか170cm台まで伸びて、大学でやっと体つきがしっかりしてきたんです。それまでは体の小ささをカバーするために、相手とコンタクトしないようにとか、トラップのコントロールをうまく効率よくできるように練習してきました。フィジカルが弱いときは、そうやって地道に培ってきた技術でカバーしてきたんです。身長も伸び、フィジカルが伴ってきてようやくプレーに余裕がうまれるようになったんです。自分のプレーが自信になり、さらに上達していく、というサイクルができたんです。そうなってから、試合に出ることができるようになりました。初めてスタメンで出れたときは本当にうれしかったですね。

中村 憲剛

卒業後、どういうきっかけで川崎フロンターレへ入団することになったんですか?

大学のときのコーチがフロンターレの人と知り合いだということを知って、まだ在学中に「練習に参加させてほしい」って個人的に何度も頼んだことがきっかけ。それがなかったら、入っていなかったかもしれません。

中村 憲剛

初めて見るプロの世界はどうでした?

テレビで見ていたスター選手ばかりだから、もちろん緊張しましたよ。何万人規模のスタジアムでプレーしたこともなかったから、開幕戦で広島のアウェイに立ったときは、すげーって思った。そういう初めての経験が多かったせいか、勝手にプロと学生はレベルが違うものと思っていたけど、3ヶ月ぐらい経つと実はそんなに大きな 差がないということがわかった。意外とボールもとれるしシュートも入る。1年目から開幕戦に出してもらえたことも、自信になりました。

中村 憲剛

サッカーのいちばんの魅力はどこにありますか?

バレーやバスケなどほかのスポーツとは違い、ひとつひとつのプレーに細かいルールがあまりない。手でボールを触ること以外は何をしてもいい。自由度が高いスポーツなので、自分の思い通りのプレーができるところに魅力を感じます。自分のプレーでファンやお客さんが一喜一憂してくれたり、感動してくれたり。そういうのをグラウンドで感じながら、さらにゴールを決められたりすると、ゾクゾクしますね。好きな言葉は「感動、感激、感謝」。いいプレーをすればファンのみなさんが感動し、感激してくれる。それをみて、僕も感動や感激をする。ほかの選手とのプレーもそう。そしてここまでこれたのも自分ひとりの力じゃない。周りにはつねに感謝をしています。

中村 憲剛

先輩として、全国の中高生サッカー部員にメッセージを。

まさに自分が感じて経験したことですが、サッカー人生はいまここだけでは終わらないから。僕だってプロになるなんて思いもしなかったけど、いまこうしてプロでいられるのは、自分の可能性を諦めずに強い気持で挑み続けたから。そして、サッカーが大好きだったから。どこかでくじけそうになることがあるかもしれないけれど、幕をおろさないで。そのために「サッカーが好き」って気持ちをなくさないようにしてほしい。

中村 憲剛

最後に、今後の目標とこれからの夢を教えてください。

あと一歩で優勝というところに、フロンターレはもう4年ぐらいいる。だから今シーズンこそ、優勝したい。目標は、まだまだ向上心を持ち続けたいということ。世間的にはまだ30歳なのに、サッカー界ではおじさん扱いされるんです(笑)。若い子もどんどん入ってきているし、30代ならではの魅力あるパフォーマンスを続けながら、若い子を導けるように、頑張っていきます!!

中村 憲剛

ありがとうございました。

YELL CHANNEL
応援企業
  • heteml
  • heteml
  • heteml
  • heteml