YELL 部活応援プロジェクト [エール]

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2007年5月~2018年3月、日本を代表するトップアスリートのインタビューはこちら!

ハイレ・ゲブレセラシェ

陸上競技 : エチオピア

世界で活躍するアディダスファミリー(現役アスリートや指導者、アーティストなど)が特別講師として高校に訪問し全力で日本の高校生の情熱を応援する、アディダス特別課外授業 『all in lesson すべてをかける情熱を学べ。』の第三回目が2月27日(月)に、青山学院中等部・高等部の陸上競技部をハイレ・ゲブレセラシエ選手が訪問し開講されました。目標、規律、努力、三つの要素の大切さや、ランニングフォームのチェック、そして、すべてをかけることの大切さを伝えていただきました。

ハイレ選手の国、エチオピアとは

ハイレ選手が陸上を始めたキッカケはなんでしょうか。

私が産まれたところは、家の周りに何もない、生活に必要な水を3時間かけて組みに行くような、エチオピアの田舎で、学校も10キロ離れたところにあったので、毎日走って通っていました。だから陸上をやろう! と思ってはじめたというより、生活環境の中に陸上があったという感じです。

ハイレ・ゲブレセラシェ

すごい環境ですね。日本人には想像できません。

電気も無いし、電話なんてぜいたく品です。学校まで片道10キロ、往復で20キロ。それを10年間。そうして私は10000メートルの選手になったんです。

ハイレ・ゲブレセラシェ

12才の時、初めてクツを買ってもらう

日常の生活の中に陸上があったんですね。

11才までは裸足で生活してました。兄弟は私を含めて全部で10人。母親が一人で面倒を見るんです。だから初めてクツを買ってもらったのは12才の時でした。その時はとっても嬉しくて、母親に感謝しました。

ハイレ・ゲブレセラシェ

初めて陸上の試合に出たのはいつですか。

14才の時に、学校内で1500メートルの大会に出たのが初めてです。参加者の中では一番年下だったんですけど、優勝したんです。そしたら次に学校代表として学校対抗の大会に出場して、そこでも一位になって、トロフィーを学校に持って帰ってきたんです。うれしかったですね。

ハイレ・ゲブレセラシェ

その頃、日常の生活の中で走っていたそうですが、それ以外にも練習していましたか。

その頃はまだトレーニングはしていませんでした。学校往復の20キロだけ。でもその20キロは真剣に走っていました。

ハイレ・ゲブレセラシェ

トレーニングになるから?

いいえ、遅刻すると学校の先生から棒で打たれるので、それがとっても嫌で(笑)。だから必死に。

ハイレ・ゲブレセラシェ

ちなみにエチオピアの学校には部活ってあるんですか。

ありますよ。日本ほどたくさんは無いですけど、サッカー部、バスケ部、そしてマラソン部。

ハイレ・ゲブレセラシェ

ハイレ選手は。

サッカー部でした。エチオピアで一番盛んなスポーツはサッカーなんです。だから私も中学まではサッカー部で活動していました。でもしっくりこなくて、高校生になってからは一緒に走る友だちがいれば、走っていたという感じです。

ハイレ・ゲブレセラシェ

練習をする中で、つらかったことはありますか。

スピードワークはきびしかったですね。400m、300m、100mを繰り返し走る練習はとってもきつかったです。

ハイレ・ゲブレセラシェ

青山学院中等部・高等部 陸上競技部 部員からハイレ選手への質問

大切な試合で勝つために一番大切な事はなんですか。

目標、ゴールを決めることが大切です。でも目標を決めたからといって、願うだけではダメです。大切なのは目標に向かって、規律を重んじ、日々努力を積み重ねること。 三つの要素、ゴール(目標)、規律、努力は、共に存在しなくてはなりません。今日は1000mを3本やろう! コーチがそう言ったら、例え2本目で限界を感じたとしても、最後までやり抜くことが規律です。試合に勝ちたい、そう試合当日に思うのではなく、積み重ねてきた練習をその試合に出すだけ。試合までにやり残したことが無いということが勝つための秘訣です。

ハイレ・ゲブレセラシェ

ハイレ選手がマラソンを通じて学んだことは何ですか。

忍耐強くなったことです。5000メートル、10000メートルの選手だったころは、他の選手を気にして走っていました。でもマラソンは、対人の競技ではなく、対距離の競技なんです。だから試合当日、スタートの1キロからゴールの42.195キロまで、どこに問題があるのか走ってみないとわからないんです。

ハイレ・ゲブレセラシェ

ハイレ選手が中高生時代、ちょっと変わった練習をおしえてください。

かなり広い距離でかくれんぼしていました。だから捕まえるために、かなりの距離を走らなくてはならないんです。かなり大変な遊びでした(笑)。

ハイレ・ゲブレセラシェ

陸上に対する思い

ハイレ選手がプロの陸上選手を目指したキッカケは。

モスクワ五輪で、10000メートルと、5000メートルで金メダルをとった、ミルーツ・イフター選手に憧れて、彼のようになりたいと思ったのがキッカケです。

ハイレ・ゲブレセラシェ

その頃の夢ですね。でもそれ以上の結果ですよね。

はい。中高生時代は、世界級のアスリートになりたいと思っていました。でも自分が思い描いた以上の結果を出すことができました。それはとても嬉しい事です。

ハイレ・ゲブレセラシェ

陸上をやめたいと思ったことはありますか。

一度も無いです(笑)。

ハイレ・ゲブレセラシェ

陸上の魅力はどんなところですか。

陸上は記録の勝負なので、人のせいにすることができないところですね。

ハイレ・ゲブレセラシェ

中高生へのメッセージ

今回、日本の学校に来てみて、何か感じたことはありますか。

こうして日本の学校に来てみると、全てが揃っている。エチオピアと違ってね(笑)。だから、走り続けていれば、必ず結果は付いてきます。ただし、走り続けていればね。私は、11才までクツを履いたことが無かったけど、27回の世界記録を作りました。オリンピックで2回金メダルをとって、世界選手権で4回、インドアの選手権で5回優勝しました。だからこそそう感じるんです。

ハイレ・ゲブレセラシェ

最後に、中高生へのメッセージをお願いします。

トレーニングも勉強も、毎日続けてガンバってください。みなさんのご両親も、日本の国も、みなさんに期待しています。みなさんぐらいの年は、”ファイヤーエイジ”と言われていて、今後の人生が決まってしまうぐらい、とても大切な期間です。そして大人になってからも思い返すことの多い時期でもあります。将来活躍できる大人になりたい!と思っているのなら、今こそガンバる時です。みなさんそれぞれに夢があると思います。その夢に向かって、努力し、律して頑張ってください。 いいね!

ハイレ・ゲブレセラシェ

ありがとうございました。

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