YELL 部活応援プロジェクト [エール]

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2007年5月~2018年3月、日本を代表するトップアスリートのインタビューはこちら!

和田 賢一

ビーチフラッグス : 式根島ライフセービングクラブ

今回のアスリートインタビューは、2012年ビーチフラッグス 全日本種目別選手権チャンピオン、和田賢一選手です。イップスに苦しみながらも続けた高校時代の野球部。将来、世界で活躍できるアスリートになりたいという夢を追い続け苦しみの日々を乗り越えつかんだ、チャンピオン。しかし彼の目標は、そこでは終わらない。ビーチフラッグスの先にある、彼がつかみ取りたい真のフラッグとは。部活に悩む中高生に、ぜひ読んでもらいたいインタビュー。

世界で活躍できるアスリートになりたくて

和田選手は、テレビとかでよく見る、ビーチフラッグスの全日本チャンピオンですが、高校時代もライフセービング的な活動をしていたんですか。

高校時代は野球部で、将来は世界で活躍できるようなプロアスリートになりたくて、小2の頃からプロ野球選手を目指して野球を始めたんです。でも、イップスっていう精神的な理由で自分の思い通りにプレーが出来なくなる運動障害になってしまって、高校3年間はほとんどボールを投げられないで終わってしまったんです。

和田 賢一

そういう状態でも3年間辞めないで続けられたのはすごい事ですよね。

せっかく野球の名門校に入れたので、結構辛くて、大学に進学してからも、ずっと引きずってて、野球はダメでも何かの競技で世界一を目指さないとダメだなって思ったんです。で、総合格闘技をやったり、サーフィン、テニス、いろいろやったんですけど、結局また挫折しちゃって、それならってことでトレーナーの道を選んだんですけど、トレーナーとしてトップアスリートと接するうちに、なんかモヤモヤして、そんな時に、ライフセービングのビーチフラッグスって競技に出会ったのがきっかけなんです。もう一回世界一を目指そうって。

和田 賢一

ちなみに野球のどこに魅力を感じたんですか。

投げるのはダメだったんですけど、打球を取るまでが大好きで、短距離走が得意なので、それはビーチフラッグスにも活きているんです。

和田 賢一

高校時代の部活での思い出というと。

そんな状態なので、アメフト部の先生からもアメフトをやらないかって誘って頂いてたりしたんですけど、小学校から始めた大好きな野球を、そう簡単にはあきらめる事がなかなか出来なかったんです。なんかそんな感じの思い出ですね。

和田 賢一

つらいですね・・・

そうですね。身体能力が高い方だったので、いつもチームからは期待してもらって、試合に出させてもらうんですけど、試合で投げると暴投してしまうんです。それを繰り返していくうちに、自分が壊れていってしまって、いつからから面白い人を演じるようになったりしてました。

和田 賢一

部活以外ではどんな男の子だったんですか。

クラスメイトからは変わった人って思われてました(笑)。勉強も特別出来るわけでは無いし、クラスの中心で騒ぐタイプでも無いし。あっ、でも高1から好きだった子がいて、高3の時に初めて同じクラスになって、部活を引退してから、その子とつきあいました。

和田 賢一

先ほど、勉強が特別出来る方では無かったとおっしゃっていましたが、部活と勉強の両立は難しかったですか。

僕は1度に2つのことを両立する事が出来ないタイプなので、部活をやっていたときは、まったく勉強が出来なかったんですけど、夏に部活を引退してからすぐの模試で、自分の行きたい学部への入学率がほとんどゼロに近い結果が出て、これはマズイと思って、自分でも驚くくらい勉強したんです。そしたら年末の模試で高得点が取れて、僕の通っていた高校が大学の附属高校だったので、自分の入りたい学部に進学出来ることになったんです。それが人生で初めての成功体験だったんです(笑)。

和田 賢一

ビーチフラッグス

一般的に、“ ビーチフラッグ ” って言われることが多いですよね。でも正式名は、” ビーチフラッグス ” なんですね。

そうです。” ビーチフラッグス ” です。

和田 賢一

ビーチフラッグスを始めた、チャンピオンを目指そうと思ったきっかけを教えて下さい。

さっき話した通り、野球、サーフィン、テニス、総合格闘技に挫折して、トレーナーの道に進もうとした時に、トレーナーの資格を取るために、心肺蘇生法という資格を取らなくてはならなくて、その時にライフセービングを知ったのがきっかけなんです。ライフセービングの心肺蘇生法の講習会で、「あなたの目の前で大切な人が苦しんでいる時に、あなたは助けられますか」って言われて、今の自分には何も出来ないなって思ったんです。でも当時はトレーナーになるための資格を取るためにその講習会を受けただけだったので、すぐにライフセービングの道には進まなかったんですけど、大学3年の時に、ライフセービングをやっている仲の良かった友だちから、まったく同じ言葉を聞いて、自分もやってみよう! と思ったのがきっかけなんです。

和田 賢一

ビーチフラッグスは、ライフセービングの中の一つの競技との事ですが、ライフセービングには色々な競技があるんですか。

はい。ビーチフラッグスの他に、サーフレースとか、サーフスキーレース、ボードレース、オーシャンマン、ビーチスプリント、2kmビーチランなどがあります。どれもライフセーバーに必要な能力向上を競った競技なんです。

和田 賢一

和田選手は、ビーチフラッグス全日本種目別選手権チャンピオンですが、そこに至るまでのエピソードをお願いします。

結果を出してこれなかった自分の心には、いつしかぽっかりと穴が空いていて、理想の自分と、現実の自分とのギャップにいつも苦しくて、ただただ泣きながらずっと練習していました。

和田 賢一

意識が高い分、自分を苦しめるんですね。でもビーチフラッグスでチャンピオンになって、その穴は埋まったんですね。

はいチャンピオンになれた事で、その穴は埋まりました。高校時代、ベンチにも入れなかった苦しみも、世界で活躍されている尊敬する先輩に勝って自分がチャンピオンになった時、今まで流していた悔し涙から、嬉し涙に変わって、自分も世界チャンピオンになれるんだって証明されたような気がして、本当に嬉しかったです。

和田 賢一

ビーチフラッグスはフラッグを奪取する事で、勝ち負けが決まるので、その瞬間を想像すると、ドキッとしますね。

はい(笑)。フラッグを取った瞬間、今まで自分をサポートしてくれた色々な人たちへの感謝の思いや、思い出がフラッシュバックしてきました。

和田 賢一

一人でも多くの人たちを笑顔に

どんな状況でも野球部を辞めなかった和田選手ですが、ビーチフラッグスを辞めたいと思ったことってありますか。

辞めたいと思ったことは無いですけど、辞めるポイントは決めています。僕は小さい時に決めたことがあって、20代のうちに何かのチャンピオンになって、30代になったら、その活動での経験や経歴を活かして、世界で起きている戦争を無くす事や、医療や教育の機会の平等化など、一人でも多くの人たちに笑顔になってもらえるような活動をしたいと考えています。でもそれにはまず自分が何かで結果を出す、成功体験をする事が、そのような活動をする上で必要だと考えてます。

和田 賢一

和田選手にこれを聞くのは場違いかもしれませんが、練習をつらいと思ったことって無いですよね(笑)。

練習がつらいと思う以前に、その場に立てないことも多いので、どんなにつらい練習でも練習ができるなら、それは嬉しいです。

和田 賢一

ビーチフラッグスなど、一瞬で勝負が決まる競技だと、集中力、精神力が大切ですが、一瞬に勝負をかけるときの緊張感とはどのように向き合っているんでしょうか。

練習をするとき、これは本番だと思って練習しているので、どちらかというと練習中のときの方が緊張しています。だから本番は、練習中のときと同じ位の緊張はしていますが、” 無 ” の状態に近いです。

和田 賢一

和田賢一選手から中高生へ

和田選手にとってターニングポイントがあるとしたら。

6月に全日本種目別でチャンピオンになった事ですね。

和田 賢一

今後の目標、将来の夢というと、先ほどお話していただいた事ですよね。

はい。世界中の子供たちが、平等に医療と教育を受けられるようにするというのが、僕の目標です。

和田 賢一

何かを成し遂げるには、モチベーションを持続させる事が大切だと思うんですが。

高い山を乗り越えるとき、一人では難しいので、多くの人に賛同してもらえるよう、まずは自分が先頭に立って手を上げることだと思うんです。そしてそこに全てをかけて背中を見せることが大切だと思っています。

和田 賢一

最後に中高生へのメッセージをお願い致します。

部活は必ず人生の宝物になると思うので、みんな、部活に入りましょう(笑)!

和田 賢一

ありがとうございました。

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